Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

萩原慎一郎『滑走路』

原慎一郎さんの『滑走路』。年始に一回読んだのだけれど、先日、新聞記事(朝日新聞2018年2月19日夕刊10頁) に、この歌集が取り上げられているのを読んで、改めて読み直した。新聞記事には作者の死因が自死であることがはっきりと書かれており(歌集には急逝とだけ記されていた)、それを念頭に置いて読むと、一冊が長い長い遺書のようにも思えてきて、一回目に読んだ時とはまた違う角度で見えてきた歌もあった。

 

・パソコンの向こうにひとがいるんだとアイスクリーム食べて深呼吸

・牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ

 

ネットの掲示板やSNS等でのやり取りの最中に、ふと、画面にびっしりと表示された文字を入力したのは全て、自分と同じ生身の人間なんだと意識し直し、姿勢を正す。牛丼屋で店員さんが働く様子をつぶさに観察し、心の中でエールを送る。痛みを知っている人だからこそ、その眼差しは人一倍温かい。

 

・三時間前に座りし公園のベンチを濡らす雨が降りたり

・ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

 

正規雇用への不安、恋愛、過去の癒えない心の傷といった色々な悩みを抱えつつも、萩原さんは決して下を向いてばかりではない。三時間もの間の物思いの末、雨が降り出す。その雨は三時間ベンチに座っていなかったら、決して浴びることのなかった雨で、どこかささやかな救いの雨のようでもある。秋の訪れと共に食べる牛丼も、非正規という待遇に不満を述べつつ、まるで牛丼が一服の清涼剤であるかのように描かれている。

 

・かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に

・文語崩しの口語短歌を作るべく日々研究をしているぼくだ

 

一冊の中に、これだけ自身の短歌との向き合い方や作歌姿勢について詠んだ歌が入っている歌集は、珍しいのではないだろうか。それだけ萩原さんの中で短歌が大きな割合を占めていて、そこに多大な情熱を注いでいたという証だ。それだけ短歌を愛していた萩原さんに、ずっとずっと短歌を続けてほしかったと思う。

 

・未来とは手に入れるもの 自転車と短歌とロックンロール愛して

・一人ではないのだ そんな気がしたら大丈夫だよ 弁当を食む

 

この前、近鉄に乗っていると、向かいに座っていた初老の男性が、本を片手にノートに何かを必死にメモしていた。どこかで見た表紙の本だと思ったら、この『滑走路』だった。先述の新聞記事にも、ご両親の「慎一郎の短歌からは、困難な状況の中でも小さな幸せをつかもうとしていたことが分かります。今の時代を懸命に生きる方たちにも届く言葉があるかもしれません」というコメントが掲載されていたけれど、この歌集が少しでも多くの人に届き、人生の支えとなれば、と願っている。

 

歌集 滑走路

歌集 滑走路

 

本多真弓『猫は踏まずに』

本多真弓さんの『猫は踏まずに』を読みました。まず、本の装丁がすごく素敵で、千種創一さんの『砂丘律』を読んだときも思ったけれど、これからは歌集の装丁にも書き手の個性がどんどん表現されるようになってくるのかなと思いました。表紙をめくると、遊び紙が畳の縁のようなデザインになっていて、タイトルと掛けてるのかなと思いましたが、どうなんでしょうか(猫も畳の縁も踏んじゃいけない、ということで)。それでは、特に好きな歌について感想を書きます。

 

 

・わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに

 

 

歌集の栞の中で花山さん、穂村さん、染野さんがそれぞれに述べられているように、猫をあえて踏んでゆく別世界、の方がどうしてもイメージとして立ち現れてくる。この歌集の世界観が集約されていて、歌集のタイトルとしても冒頭に置く歌としても、ぴったりだと思った。

 

 

・十年を眠らせるためひとはまづ二つの穴を書類に開ける

 

 

十年保存の書類をファイルに綴じるために、穴を開ける。日頃何気なく使っている穴あけパンチだけれど、眠らせるためにまず穴を開ける、と言われると、何かの儀式のような、屠殺の場面のような不穏さが漂ってくる。

 

 

・もう会はぬ従兄弟のやうなとほさかな みなとみらいとニライカナイ

 

 

小さい頃に会って以来それきり、でもルーツは同じ、という従兄弟との関係性と、みなとみらいとニライカナイの、全然別物にも関わらず、ユートピア性とでもいえる部分が共通し、音にアナロジーがあるという関係性が、不思議な具合に響き合っていると思う。

 

 

宇治抹茶金時々は思ひ出すとほいむかしのこひびとのこと

 

 

宇治抹茶金時を食べていたら、ふと昔の恋人のことを思い出してしまった、という思考過程が「宇治抹茶金時々」というユーモラスな表現で描かれている。宇治抹茶金時の、甘さの中に抹茶の苦みもある感じが、イメージを膨らませる。「宇治抹茶金時々」という冗談めいた言葉からは、思い出すときに決して本気になってはいけないぞ、という無意識のうちの自制も感じる。

 

 

・前を向ききみは歩いてゆけばいい 目のついてゐるはうが前だよ

 

 

前後の歌から「きみ」は、別れてしまった恋人だろうか。「目のついてゐるはうが前だよ」は、もし目が後ろについているなら(わたしの方を向いてくれるなら)、それでもいいから、自分の気持ちに正直にね、という風に読んだ。欧陽菲菲さんの「Love Is Over」の歌詞の、「Love is over 最後にひとつ自分をだましちゃいけないよ」が思い浮かんだ。

 

 

・冬の日もぬくき便座を受容する日本に生まれてほんたうによい

 

 

ブルゾンちえみ風に言うと、「あ~、日本に生まれてよかった!」という感じ(笑)。もちろん、貧しい国の人々のことを慮ることは大事なんだけれど、こういうことをもっと口に出して言っちゃってもいいんじゃないか、と思う。

 

 

巻末の岡井隆さんによる解説の、「自分の歌集についての書評とか解説とかは、作者からすれば、ありがたい<誤読>の中で進行するささやかな劇である」という言葉も、とても印象に残りました。

 

 

猫は踏まずに

猫は踏まずに

 

 

 

 

3月8日の日記

何てことのない一日だったけれど、頭の中でずっとジブリの主題歌が流れている。本当に何かが終わるときはこんな感じに終わるんじゃないかと、すこし不安になる。中学や高校の頃に一つ上の先輩が、一年というはるかな時間の、その分の高みにいた、その感じが僕には遠いものになってしまった代わりに、テレビで見たおばあちゃんの「かなしい」という一語に、あらゆる部分がバチバチと反応している。感覚と感覚を引き替えながら進むということは、どれくらいの正しさの中にあるのだろうか、というのが、最近の自分の中での問題意識としてあるような気がする。

 

 

無題という題がどれだけ美しいことかを伝えたくて会いにゆく/笹川諒

 

石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』

石井僚一さんの『死ぬほど好きだから死なねーよ』を読みました。この歌集はまるでカメレオンのように、様々な角度から色々な修辞を駆使した歌を提示してくるのだけれど、歌集の一番最後の歌にもあるように、最終的には「らぶ」を志向した上での、紆余曲折の旅の道程なのだろうと自分の中では感じました。今回はその「らぶ」がなるべくわかりやすい形で出ている短歌の中から、特に好きな歌の感想をいくつか書きたいと思います。

 

 

・いつか一緒に死ぬかもしれない人の手だと思って触れようとする夜の縁

 

 

恋人が起きている時に、「いつか一緒に死ぬかもしれない人の手」だと思って触れることは、あまりないだろう。自分だけ目が覚めてしまい、眠っている恋人の傍らで色々と思いを巡らせていると、ふと、この人といつか一緒に死ぬかもしれない、という少し甘美ともいえる思いに至る。夜明け前の、時間の流れが遅く感じる時のムードが伝わってくる。

 

 

・花の名を覚えるたびに忘れゆく花の個のこと 恋をしていた

 

 

花の名前を知らないうちは、例えば「帰り道のあの家の前に咲いているあの花」だった花も、ひとたびその花の名称を知ってしまうと、その花をどこで見かけたとしても同じものに見えるようになってしまう、ということだろう。一字空けからの「恋をしていた」は解釈に少し迷うけれど、個人的には、以前の恋愛のことを振り返っていて、当時はかけがえのない思いを抱いていたのに、今となってはこれまでの恋愛経験の中の一つとして自分の記憶の中でカテゴライズされてしまっていることへのやりきれない気持ち、という風に読んだ。

 

 

・もらうことに慣れてはいけない 夜空には架空のひかりとしての星々

 

 

夜空の星々は「架空」とはいうものの、もちろん実際に存在はしている。ただ私たちが実際にその星に行ったりすることはできず、光だ、と認識する以上のことはできないがゆえに「架空」の存在なのである。夜空の星々と同じように、この世界には確かに存在していながらも、限られた人生の中では決して関わることのないたくさんの光がある。自分が本当に関わることのできる範囲のことは、実はとても少ない。

 

 

・いち、にっ、さん、死後にもういちど会いましょう あなたのなりたい駅を教えて

 

 

すごく切ない。事情があって、たぶん、生きている間はもう会うことのないだろう好きだった人への歌。いきなり「死後にもういちど会いましょう」とは切り出せず、少し冗談めかしてから本題に入る。あなたがどこの駅になりたいかを教えてくれたら、世界じゅうどこの駅だとしても、会いにいく。「駅」はその土地から動かない存在だから、場所さえ分かれば絶対に会える。でも「駅」は、私たちにとって目的地に行く際に「通過する場所」でもあり、死後の世界であっても「あなた」とは邂逅の末に、結局すれ違うことしかできない運命にあるのだろうか。転生の対象としての「駅」、の一語がはてしなくイメージを膨らませている。また、美しい駅名の駅になりたいか、ショッピングモールが隣接するような機能性の高い駅か、田舎の無人駅か…等、どういう駅になりたいかという問いの答えには、一人一人の美学や人生観が現れるだろうという視点から読んでも面白い。もしかすると、作中主体は「あなた」が二人の思い出の駅を選んでくれることを、ほのかに期待したりしているのかもしれない。

 

 

・プールに金魚が鮮やかでどの子がわたしたちだろうねってこれからすくうやつだよ

 

 

一瞬でも他の誰かにはなることができないままならなさと、いまこの瞬間の交換不可能性が、「金魚」というはかないイメージを通して、それこそ「鮮やかに」描かれている。

 

 

歌集 死ぬほど好きだから死なねーよ

歌集 死ぬほど好きだから死なねーよ

 

『短歌人』2018年3月号の、好きな歌10首

武器と楽器 枝分かれしてそれぞれに求めてゆけり逢ふべきひとを(阿部久美)

 

春寒の排水溝にはあかぐろき薔薇のはなびらみずに動けり(内山晶太)

 

やむきみとしりつつ断てばそれきりの冬椿 はるはやくこないか(鈴木杏龍)

 

金魚たちこつりこつりと喉の奥にあるという歯と歯を噛み合わす(相田奈緒

 

始発にもこんなに人が並ぶのか出て行く朝にこの街を知る(小笠原啓太)

 

理由って探せばことばになってしまう 脳には六つ葉があるという(空山徹平)

 

メルカリで「人の心」を検索す 四十件と出てきてびびる(松木秀)

 

冬を待つこころのままに落雁を齧ればすでに冬は来ていた(黒﨑聡美)

 

うつ病のはじまりなのか駄菓子屋の裏のポストがこんなに遠い(有朋さやか)

 

雪の日の雪の匂いよ淋しさはいつも一筋甘やかにあり(吉川真美)

 

 

☆★☆★

 

 

今月の『短歌人』から特に好きな歌10首です(もちろん全部の短歌が読めたわけではないのですが…)。

順番は短歌が掲載されているページ順になっています。

万一、誤字・脱字等ありましたら大変申し訳ございません。

宇野なずき『最初からやり直してください』

宇野なずきさんの歌集『最初からやり直してください』を読みました。twitterでたまたま、宇野さんの<誰ひとりきみの代わりはいないけど上位互換が出回っている>を読んで、もっと他の短歌も読んでみたいと思ったのがきっかけでした。

 

 

・貝殻がなくても貝の仲間だし血が出なくても傷付いている

 

 

目に見えているものだけが、全てではないということ。宇野さんの短歌はネガティブな角度から鋭く飛んでくるように見えて、実はその裏には、世界がもっと優しさや慈しみに満ちたものになればいいのに、という強い願いが込められていると思う。

 

 

・この狭い部屋で観葉植物も声も枯らしたことがあります

 

 

一人の人間なんて、ちっぽけな存在かもしれないけれど、その中に、すごく野蛮な部分や慎ましい部分がないまぜになっているんだよ、というそれこそまさに叫びのような歌。

 

 

・いつもより少し豪華な弁当が半額で嬉しいな 死にたい

 

 

スーパーでちょっといい感じの弁当が半額で、一瞬喜ぶ。もっと他のことで喜びたかったのに、不覚にも喜んでしまった自分への容赦のない視線。三大欲求の中でも食欲が一番詩から遠い、と作者は思っているのかもしれない。

 

 

・しわくちゃの紙幣みたいに生きている 最初からやり直してください

 

 

機械にとって紙幣は、読み取れる/読み取れないのどちらかでしかない。今はまだ読み取れないくらいしわくちゃかもしれないけど、人生まだまだこれから!、とかはなくて、読み取れないくらいしわくちゃならば、最初からやり直すしかないのだ、と機械から宣告されてるようで、怖い。

 

 

・新作の泣ける映画で泣いているこれはどういう罰なのだろう

 

 

身体の自由ではなく、感情の自由が奪われてしまった。色々な不如意に満ちた世の中で、唯一といっていいほど自由を保障されている個人の感情。だからこそ、作者はその感情の自由が一瞬でも揺らぐ瞬間に、きわめて敏感なのだろう。

 

 

以上、特に好きな歌でした。『最初からやり直してください』は、普通の本屋には残念ながら出回っていないようですが、↓のサイトから通販で購入できます。ぜひ!

https://booth.pm/ja/items/698048

松野志保『Too Young To Die』

野志保さんの第二歌集『Too Young To Die』。滋賀県立図書館から、地元の図書館に取り寄せてもらいました。「二人の青年の物語」というモチーフが、時代やシチュエーションを異にしながらひたすら変奏されてゆく歌集。僕が今回この歌集を読みたいと思った大きな理由は「文体」です。松野さんの短歌は口語ベースなのに、すごく格調高い、というかカッコいいんです。ざっくり言うと、前衛短歌を口語に翻訳したような感じがあります。以下、文体の話とは特に関係ないですが、好きな歌を。

 

・光あれ よろめきながらぼくたちが越えたあまたの分水嶺

 

分水嶺」は、乗り越えてきた困難にも、選び取ってきた選択にもとれる。そのすべてに祝福が、光がありますように。

 

・この夜の少しだけ先をゆく君へ列車よぼくの血を運びゆけ

 

「血」という語が想いの強さや、生々しさ、痛みのメタファーとなっている。「列車」が『銀河鉄道の夜』的な世界を創りだしていて、歌の意味解釈を越えた次元でのうつくしさがある。

 

・天空より見れば美しい的ならむ弓なりの肢体晒す列島

 

葛原妙子の<他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水>を踏まえた歌だろう。日本列島のフォルムとエロスを結びつけるという着想がすごい。

 

・変容を待つ繭として傷のない皮膚の上にも包帯を巻く

 

「傷のない皮膚の上にも包帯を巻く」がヒリヒリする。

 

・どこへ往くことも願わぬふたりには破船のようにやさしい中庭

 

「中庭」のルビは「パティオ」。この歌を含め、東郷雄二さんの「橄欖追放」では、松野さんの短歌がセカイ系と絡めて論じられている。

「松野志保歌集『Too Young to Die』書評:砕け散った世界に生きる二人の少年の物語」

http://petalismos.net/tanka/tanka-column/column8.html

Too Young To Die―松野志保歌集

Too Young To Die―松野志保歌集