Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

本多真弓『猫は踏まずに』

本多真弓さんの『猫は踏まずに』を読みました。まず、本の装丁がすごく素敵で、千種創一さんの『砂丘律』を読んだときも思ったけれど、これからは歌集の装丁にも書き手の個性がどんどん表現されるようになってくるのかなと思いました。表紙をめくると、遊び紙が畳の縁のようなデザインになっていて、タイトルと掛けてるのかなと思いましたが、どうなんでしょうか(猫も畳の縁も踏んじゃいけない、ということで)。それでは、特に好きな歌について感想を書きます。

 

 

・わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに

 

 

歌集の栞の中で花山さん、穂村さん、染野さんがそれぞれに述べられているように、猫をあえて踏んでゆく別世界、の方がどうしてもイメージとして立ち現れてくる。この歌集の世界観が集約されていて、歌集のタイトルとしても冒頭に置く歌としても、ぴったりだと思った。

 

 

・十年を眠らせるためひとはまづ二つの穴を書類に開ける

 

 

十年保存の書類をファイルに綴じるために、穴を開ける。日頃何気なく使っている穴あけパンチだけれど、眠らせるためにまず穴を開ける、と言われると、何かの儀式のような、屠殺の場面のような不穏さが漂ってくる。

 

 

・もう会はぬ従兄弟のやうなとほさかな みなとみらいとニライカナイ

 

 

小さい頃に会って以来それきり、でもルーツは同じ、という従兄弟との関係性と、みなとみらいとニライカナイの、全然別物にも関わらず、ユートピア性とでもいえる部分が共通し、音にアナロジーがあるという関係性が、不思議な具合に響き合っていると思う。

 

 

宇治抹茶金時々は思ひ出すとほいむかしのこひびとのこと

 

 

宇治抹茶金時を食べていたら、ふと昔の恋人のことを思い出してしまった、という思考過程が「宇治抹茶金時々」というユーモラスな表現で描かれている。宇治抹茶金時の、甘さの中に抹茶の苦みもある感じが、イメージを膨らませる。「宇治抹茶金時々」という冗談めいた言葉からは、思い出すときに決して本気になってはいけないぞ、という無意識のうちの自制も感じる。

 

 

・前を向ききみは歩いてゆけばいい 目のついてゐるはうが前だよ

 

 

前後の歌から「きみ」は、別れてしまった恋人だろうか。「目のついてゐるはうが前だよ」は、もし目が後ろについているなら(わたしの方を向いてくれるなら)、それでもいいから、自分の気持ちに正直にね、という風に読んだ。欧陽菲菲さんの「Love Is Over」の歌詞の、「Love is over 最後にひとつ自分をだましちゃいけないよ」が思い浮かんだ。

 

 

・冬の日もぬくき便座を受容する日本に生まれてほんたうによい

 

 

ブルゾンちえみ風に言うと、「あ~、日本に生まれてよかった!」という感じ(笑)。もちろん、貧しい国の人々のことを慮ることは大事なんだけれど、こういうことをもっと口に出して言っちゃってもいいんじゃないか、と思う。

 

 

巻末の岡井隆さんによる解説の、「自分の歌集についての書評とか解説とかは、作者からすれば、ありがたい<誤読>の中で進行するささやかな劇である」という言葉も、とても印象に残りました。

 

 

猫は踏まずに

猫は踏まずに