Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

最近の活動まとめ(2022年)

最近の活動まとめ(2022年11月14日更新)

※2021年はこちら→最近の活動まとめ(2021年) - Ryo Sasagawa's Blog

 

☆短歌作品

・「echo」12首(「歌壇」2022年12月号)

・「似非詩人の夏」10首(「西瓜」第六号)

・20代・30代歌人競詠 8首(「短歌人」2022年8月号)

・「長崎小景」7首(「短歌研究」2022年5月号)

・「メゾン野放図」10首(「西瓜」第四号)

・「紫犬」7首(「文學界」2022年5月号)

・「修復」15首(「短歌人」2022年4月号)

・「二月の果て」12首(「うた新聞」2022年3月号)

・「冬の雨」10首(「西瓜」第三号)

 

☆文章

・エッセイ 「一葉の記憶―私の公募短歌館―」(角川「短歌」2022年10月号)

・評論 「「詩線」に掲載された永井陽子の歌」(「短歌人」2022年9月号)

・一句鑑賞 暮田真名『ふりょの星』(「川柳スパイラル」第15号)

・歌集評 田村穂隆『湖とファルセット』(「現代短歌」2022年9月号)

・歌集評 奥田亡羊『花』(「うた新聞」2022年7月号)

・一首評 魚村晋太郎『銀耳』(「『銀耳』新装版刊行記念フリーペーパー」)

・「自選十首」、「受賞のことば」(「現代歌人集会会報」55号)

・「テーマに関連して最近思うこと」(「現代歌人集会会報」55号)

・「現代の飲食の秀歌30首」(「短歌人」2022年5月号)

・Book Review 遠藤由季『北緯43度』(「短歌人」2022年4月号)

・Book Review 加部洋祐『未来世』(「短歌人」2022年3月号)

歌人アンケート 「文庫で読みたい歌集」はこれだ(「短歌研究」2022年3月号)

・歌集評 田中成彦『即興曲』(「吻土」2022年2月号)

・歌集評 江戸雪『空白』(「西瓜」第三号)

・Book Review 小黒世茂『九夏』(「短歌人」2022年2月号)

・Book Review 西巻真『ダスビダーニャ』(「短歌人」2022年1月号)

 

☆イベント、その他

・7月23日 現代歌人集会春季大会 in 神戸「歌の読み方・読まれ方~震災からコロナまで~」 パネリスト(兵庫・神戸市教育会館にて)

・6月12日 トークイベント「水の聖歌隊は鬼と踊る」出演(大阪・梅田Lateralにて)

水の聖歌隊は鬼と踊る -

・5月4日~5月8日 グループ展「KOTOBA BEATS」に参加(大阪・今里BEATSにて)

KOTOBA BEATS2022年5月4日(水)〜 5月8日(日)

・4月 「現代短歌新聞」2022年4月号にインタビュー記事掲載

・1月23日 短歌人新年Zoomシンポジウム(テーマ=永井陽子の歌) パネリスト

・『のんびり読んで、すんなり身につく いちばんやさしい短歌』(横山未来子、日本文芸社)に『水の聖歌隊』から例歌として2首収録

・『短歌部、ただいま部員募集中!』(小島なお・千葉聡、岩波書店)に『水の聖歌隊』の短歌を原作にした四コマ漫画掲載

・『恋の短歌コレクション1000』(日本短歌総研、飯塚書店)に『水の聖歌隊』から2首収録

小黒世茂『九夏』

小黒世茂『九夏』評   笹川諒

 「玲瓏」所属の著者の第六歌集。

  しづみゐし空母信濃に白骨をゆらすかそかな水流あらむ

  雲つぎつぎ雲をうみだす南端のちひさな石碑にしらゆり挿せり

 歌集のタイトルでもある「九夏」という一連より。第二次世界大戦中に撃沈され、今も深海に眠る空母信濃と乗組員を慰霊する旅を詠う連作だ。この歌集には旅の歌が多く、他にも熊野、対馬越中、巨勢などを訪ねた際の歌が収められている。これらの旅は小黒さんのライフワークでもある日本の源流の探索を目的としたもので、臨場感のある歌を通して、知的好奇心や冒険心が大いにかき立てられる。

  姉すでに立ち枯れてゐた足もとにともしび茸をひからせてゐた

  となりの部屋のぞけば崖つぷちありて来るんぢやないよ姉が叱りぬ

 十四歳年上の姉との関係を詠った歌も心に残る。老いが兆し、体調も心配な姉だが、ユーモアを大事にしつつ前向きに日々を送る主体の姿には、読んでいるこちらまで励まされる。

  なにかが来る前のやうにも遠のいた後のやうにも目をつむる馬

 集中、最も好きな歌。馬は人間とは全く違う時間の流れの中を生きているのだろう。それでも、馬の時間がたしかにそこに流れていることを感じることだけなら、人間にもできるのだ。

 

(「短歌人」2022年2月号掲載)

「流動」8首(「短歌人」2021年8月号)

流動   笹川諒

 

青空にブローチの針を刺すような痛みのことをうまく言えない


自然体を意識するほど最寄り駅のサイズはいつもと違って見える


梅雨の月 水に近づく生き方と遠ざかる生き方とそのほか


十四、五年を滴らせつつやって来るから亀って夢の中ではこわい


美術館のトイレで白髪を抜いたときほんとうに増えそうな気がした


窓越しのうっすら青い水差しもかつて手札にあったはずだよ


その問いの答えをシンコペーションと知りつつ黙っていた夏の庭


あなたの詩は最後にいつもお辞儀する そこから真似をしたいと思う

 

(「短歌人」2021年8月号掲載)

20代・30代会員競詠 8首(「短歌人」2022年8月号)

20代・30代会員競詠 8首   笹川諒

 

神に鬱きざして春のひとしれず青く塗られてゆくハーモニカ

 

自分の性格がわからない川沿いの桜に首を絞められながら

 

わたしがいちばん図形だったとき、梅田でも迷うことはなかった

 

少しだけ歴史を信じるのもいいね旅の終わりに余った顔で

 

秩序からはるか離れて歩みゆく永遠のエイプリル・キャットよ

 

ありうべきわたしのように夕陽が沈む/彼は教会のようにやさしい

 

絵にも音にもならない不穏のための一行 苦しくない選択だった

 

奇跡のトウ・シューズが見えるとてもふかい緑のような疲れの中に

 

(「短歌人」2022年8月号掲載)

トークイベント「水の聖歌隊は鬼と踊る」開催

6/12(日)に梅田Lateralさんでトークイベント「水の聖歌隊は鬼と踊る」を開催します。笹川諒『水の聖歌隊』・三田三郎『鬼と踊る』の二冊の歌集を、土岐友浩さんをまじえて読み解きます。

 

詳細は下記のリンクよりご確認ください。

lateral-osaka.com

暮田真名さんの川柳について書いたもののまとめ

暮田真名さんの川柳について、過去に書いたものをまとめてみました。

 

 どうしたら備長炭へご挨拶/暮田真名

 

 意味不明なことを言っているように見えて、不思議と整合性がある。「備長炭」という単語の字面や響きのいかめしさ、実物のビジュアルの無骨な感じは、私たちが普段の日常で「ご挨拶」しておかなくては、と思うような偉い人たちが持つ属性とどこか似通っている。

 備長炭を普段目にする機会といえば、焼き肉屋である場合が一番多いだろう。焼き肉屋のテーブルにつくと、七輪の中の備長炭と真正面から相まみえることになる。さて、何とご挨拶したものか……。

 (初出:「川柳塔ミニエッセイ」2019年9月14日掲載分)

 

 ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ/暮田真名

 

 まず句の構造から確認すると、この句は『補遺』の中にも多く収録されている、暮田さんの得意な、既存の言い回しの一部を意外な言葉に入れ替えることで不思議な色合いを出してゆくタイプの句だといえる。たとえば、イメージの近い句に〈竜巻の取扱いに準じます〉という句があり、「○○の取り扱いに準じます」という定型としてある文の中に、とても取り扱うなんてできないような「竜巻」を代入することで、川柳として成立させている。
 掲出句でも同様に、「○○にえさをやらなくちゃ」と普段言う場合、たとえば「ハムスターにえさをやらなくちゃ」というように、自分の管理下にありお世話する対象、つまり家で飼育できる比較的小さなペットに対して使う場面が想定される。そこに真逆の、めったに見ることのできない自然現象で、スケールも壮大なダイヤモンドダストを持ってきているところが面白い。自然現象を一個人が管理したり、面倒を見るということは有り得ないからだ。
 かといって、スケールが大きい自然界のもの(ヒマラヤ山脈とかオーロラとか)なら何でもいいわけではなく、この「ダイヤモンドダスト」は動かない。それはダイヤモンドダストの細かな粒が、魚の餌である細かいプランクトンや小動物が食べる粉末の餌を何となく連想させるからだ。一見無茶苦茶なことを言っているようで、妙な言葉の動かなさがあるというのは、川柳を評価する場合の大事な指標の一つだといえるだろう。ここにこの句の強さがあると思う。
 ここまでが句の構造で、次に、一句全体の読みについて考える。私はこの句から、少し大袈裟に言うと、川柳というフィールドの射程範囲の広さを感じた。川柳の世界ではダイヤモンドダストにさえ、餌を与えることを怠ってはいけないのだ。私はダイヤモンドダストの実物を実際に見たことはないし、これからも見ることがないかもしれない。それくらい遠い世界に存在しているものでも(むしろ遠いからこそ?)、いつでも血の通った言葉として句の中で使えるように、日頃からしっかりアンテナを張って、入念にメンテナンスをしておかなければならないのだ。ありとあらゆる単語を句の中に組み込める川柳だからこそ、言葉が上滑りしないように、自分から遠いところにある言葉こそ慎重に用いなければ、という作者の創作姿勢のようなものがこの句から垣間見えた気がして、今回はこの句を推し句に選んだ。

 (初出:暮田真名『補遺』批評会 推し句バトル 発表要旨)

 

 末弟はヒヤシンスより多いです/暮田真名

 

 「末弟」は一番末の弟のことなので、そもそも二人以上の人物を指し示すことができない日本語だ。なので、この句は弟が何人いるかという話ではなくて、末弟とヒヤシンスを比較した際に弟の方に何が「多い」のか、が省略されている句だと考えられる。省略部分を強引に補うとすれば、たとえば、水を飲む量が多い、などになるだろう(それも変な話だけれど)。末弟とヒヤシンスを同じ土俵に引きずり出してくるところが面白い。

 しかし、読み手はこの句を初めてぱっと見せられたとき、果たしてそのように句を読むだろうか。私は初読時、なぜこの人はそんなにたくさん弟がいるのだろう、と一瞬思ってしまった。ヒヤシンスといえば、水栽培をしたときに球根の末端から生えてくる無数の白い根っこを思い浮かべる人が多いだろう。無意識のうちに、ヒヤシンスの根っこの本数と弟の数を頭の中で比較してしまっていたのだ。「末弟」という一人しか指すことのできない単語と、「ヒヤシンス」と聞いて読み手がイメージする映像を巧みに利用した、言葉のイリュージョンのような句だと思う。

 (初出:「MITASASA」第14号相互評)

 

 良い寿司は関節がよく曲がるんだ/暮田真名
 

 「良い○○は関節がよく曲がるんだ」というのは、いかにも何かの分野の職人が言いそうな台詞だ。でも、寿司には当然関節はない。にもかかわらず、寿司職人が寿司を握るときのしなやかな指の動きなんかを読み手はなぜか連想してしまい、不思議な気分にさせられる。

 (初出:「短歌人」2021年2月号「現代川柳が面白い」より一部抜粋)

 

※初出時の文章から加筆・修正した部分もあります。

1月31日の日記

短歌でお世話になっていた方の訃報を立て続けに聞いて、気持ちが沈んでいる。

 

小川佳世子さん

2018年頃から超結社の歌会でたびたびご一緒していた。僕の歌が1票とかのときに、小川さんが票を入れてくださっているということが不思議と何回かあった。そういうとき小川さんは静かで穏やかに、けれど、たとえ1票しか入ってなくても私は良い歌だと思った、ということが聞き手にはしっかり伝わるようなお話のされ方をされていて、すごく印象に残っている。

歌集を送ってくださったり、DMをくださったり、直接お話しする機会は少なかったものの、いつも見守ってくださっていた。Zoomの画面越しにお見かけしたのが最後になってしまった。

雨音を聞く仕事ならしてもいい何処か遠くの緑の窓で/『水が見ていた』

なかぞらはいずこですかとぜひ聞いてくださいそこにわたしはいます/『ゆきふる』

いつの日も川の水面に光ありどれほど空が疲れていても/『ジューンベリー

 

西勝洋一さん

『水の聖歌隊』の丁寧な感想のお葉書をいただいた。お葉書には髙瀬賞の受賞作を歌集に入れてもよかったんじゃないか、というアドバイスも。日頃の結社誌の作品にも目を留めていただいていることを知って嬉しかった。その他にも(僕の出身が長崎県諫早なので)諫早出身の友人がいるので親しみ深く思います、ということなどが書かれていた。一度だけでもお話ししてみたかった。

 

ご冥福をお祈りいたします。