Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「ぱんたれい」同人

『水の聖歌隊』感想・書評などまとめ

 『水の聖歌隊』(書肆侃侃房)にいただいた感想・書評などをここにまとめています。

(2021年9月9日更新) 

 

○雑誌・新聞など

・内山晶太さん 「短歌」2021年4月号 「歌壇時評」

・生沼義朗さん 「現代短歌」2021年7月号 「第一歌集ノオト」

・大辻隆弘さん 「日本農業新聞」2021年3月6日 「おはよう名歌と名句」

・大辻隆弘さん 「レ・パピエ・シアンⅡ」2021年3月号 特集 関西の若手歌人を読む「詩的口語短歌―笹川諒『水の聖歌隊』―」

・大室ゆらぎさん 「短歌人」2021年7月号 「短歌人近刊歌集から」

・大森静佳さん 「NHK短歌」2021年5月号 「今読みたい愛の歌」

・大森静佳さん 「短歌人」2021年8月号 書評「「感情」以前を光らせる」

・岡方大輔さん 「かりん」2021年7月号 「歌集紹介」

・栗原寛さん 「朔日」2021年6月号 「告げざる尺度 笹川諒歌集『水の聖歌隊』を読む」

・齋藤芳生さん 「朝日新聞」2021年4月11日 「うたをよむ」

・嵯峨直樹さん 「短歌」2021年7月号 書評

・阪森郁代さん 「短歌」2021年6月号 特集 豊かなる水のしらべ「自然詠から震災詠まで」

佐藤弓生さん 「短歌人」2021年8月号 書評「ヴィジョンの確信へ」

・白川ユウコさん 「コスモス」2021年7月号 書評

・鈴掛真さん 「短歌人」2021年8月号 書評「水面がゆらぎ、歌は生まれる」

・瀬戸夏子さん 『はつなつみずうみ分光器刊行記念冊子 2021年読むべき歌集』

・染野太朗さん 「まひる野」2021年9月号 特集 歌壇の<今>を読む 書評「水鳥と水」

・竹中優子さん 「短歌」2021年8月号 「朝の歌、夜の歌」

・千葉聡さん 「短歌研究」2021年4月号 「人生処方歌集」

・土井礼一郎さん 「東京新聞」2021年3月13日夕刊 「土井礼一郎の短歌の小窓」

・土岐友浩さん 「西瓜」創刊号 書評「終末と永遠についてのいくつか」

・成瀬遠足さん 「岡大短歌」9号 「笹川諒一首評」

・畑谷隆子さん 「好日」2021年5月号 「今月の一首」

・服部一行さん 「レ・パピエ・シアンⅡ」2021年3月号 特集 関西の若手歌人を読む 「現代版の箴言のような歌集~笹川諒『水の聖歌隊』を読む~」 

東直子さん 「西日本新聞」2021年4月13日 「東直子ムギマキ通信」

・松城ゆきさん 「玲瓏」第105号 書評

松本典子さん 「短歌」2021年6月号 特集 豊かなる水のしらべ「時代を移ろう雨」

美村里江さん 「週刊エコノミスト」2021年5月25日号 「読書日記」

・睦月都さん 「現代短歌新聞」2021年5月号 書評「イメージの結晶」

・宗形光さん 「銀座短歌」No.49 書評「ひかりを通して探求する<言葉とこころ>」

・盛田志保子さん 「未来」2021年6月号「今月の歌」

・山下泉さん 「短歌研究」2021年6月号「歌集歌書評・共選」

・吉田恭大さん 「ねむらない樹」vol.7 書評「世界をたたむ手つきの美しさ」

 

○ウェブ

・相地さん 

この水面、上から見るか?下から見るか?(水の聖歌隊/笹川 諒)|相地|note

・江戸雪さん 『水の聖歌隊』の温度: からくれない日録

・奥村知世さん 短歌と緑茶とお茶菓子と : 『水の聖歌隊』笹川諒

・川上幸子さん 

涅槃雪(the last snow) : ももさへづり*やまと編*cent chants d'une chouette (Yamato*Japon)

・久我田鶴子さん 

一首鑑賞 » Archives » 水槽の中を歩いているような日は匿名になり月になる

・小池正博さん 週刊「川柳時評」

・御殿山みなみさん 歌集を読む/笹川諒『水の聖歌隊』-ニラみじん切り学部

・近藤かすみさん 水の聖歌隊 笹川諒 書肆侃侃房 - 気まぐれ徒然かすみ草

・さいかち真さん 笹川諒『水の聖歌隊』 - さいかち亭雑記

・斎藤寛さん 笹川諒歌集『水の聖歌隊』 | mixiユーザー(id:20556102)の日記

・鈴木ジェロニモさん

笹川諒『水の聖歌隊』を読んで①、R-1グランプリ - 鈴木ジェロニモのなんちゃって文学 | stand.fm

 ※④まであります

鈴木智子さん 『水の聖歌隊』にまつわるエトセトラ|鈴木智子|note

・高木佳子さん 月のコラム » Archives » 既知の知 笹川諒歌集『水の聖歌隊』

・多賀盛剛さん 水の聖歌隊をよみながら|多賀盛剛|note

・竹村ヒカルさん「詩、だけで二時間」

https://www.youtube.com/watch?v=lgvYJOW2rEI

・千種創一さん 詩情の流し込み方(笹川諒歌集『水の聖歌隊』)|千種創一|note

・塚原康介さん 笹川諒『水の聖歌隊』|塚原康介|note

・恒成美代子さん 新鋭短歌『水の聖歌隊』笹川 諒 書肆侃侃房: 暦日夕焼け通信

・東郷雄二さん 第301回 笹川諒『水の聖歌隊』 – 橄欖追放

・とみいえひろこさん 笹川諒『水の聖歌隊』(書肆侃侃房) - 日記

・藤田千鶴さん 笹川諒第一歌集『水の聖歌隊』 - ほよほよさんぽみちNEW

・松村正直さん 笹川諒歌集『水の聖歌隊』: やさしい鮫日記

・丸田洋渡さん 

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって 笹川諒 | 帚

・三田三郎さん 「投手としての笹川さん」三田三郎 - Ryo Sasagawa's Blog

・光本博さん 笹川諒歌集「水の聖歌隊」①|みつもとまと|note

 ※⑩まであります

・山川創さん 感覚の話 笹川諒『水の聖歌隊』について 山川創|gekoの会|note

・吉岡生夫さん 書架新風

読書メーター 『水の聖歌隊』|感想・レビュー - 読書メーター

・MITASASA増刊号 歌集を読む!編6 『水の聖歌隊』(19名による一首評)

MITASASA増刊号(歌集を読む!編6).pdf - Google ドライブ

 

(歌集収録歌に以前いただいた評)

・岩尾淳子さん

一首鑑賞 » Archives » 硝子が森に還れないことさびしくてあなたの敬語の語尾がゆらぐよ

・御殿山みなみさん ひざがしら — 200911

・山下翔さん 1首鑑賞338/365 - 凡フライ日記

水の聖歌隊 (新鋭短歌シリーズ49)

水の聖歌隊 (新鋭短歌シリーズ49)

  • 作者:笹川 諒
  • 発売日: 2021/02/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第三回:笹川諒「第二歌集での進化」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第三回:笹川諒「第二歌集での進化」

 

 

  1日を2万で買ってくれるなら余生を売ってはいさようなら

  足痛いふりして歩く足痛い方が健康なような気がして

  ほろ酔いで窓辺に行くと危ないが素面で行くともっと危ない

 

 第一歌集の『もうちょっと生きる』(風詠社、2018)から三首引いた。自虐を基点にした奇抜な発想や酒の歌の多さといった特徴は、今回の第二歌集『鬼と踊る』へそのまま引き継がれている。しかし、『もうちょっと生きる』というタイトルの通り、第一歌集での作者の関心は目先の生/死にすごくフォーカスしていて、笑いながら面白く読める一方、危なっかしくてハラハラしてしまう部分もあった。

 

  パーティーで失言をした大臣のその時はまだ楽しげな顔

  あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい

  極限まで抽象化された父さんが換気扇から吹き込んでくる

 

 『鬼と踊る』から三首。今回の歌集では、「他者」の登場回数が前作と比べるとかなり増えていて、一気に作者の視界が開けたような印象を受けた。一首目は「ワイドショーだよ人生は」、二首目は「禁断の恋」、三首目は「故郷へ」という連作の中の歌。三田作品のメインテーマといえる人生、労働、飲酒に加え、社会、恋愛、家族といった、より多様な題材から歌を作ろうという姿勢を感じる。

 題材の広がりと呼応するように、短歌の修辞にも新たな展開がある。

 

  泥棒に入られたなら警察を呼ぶ前に洗うべき皿がある

 

 どれだけ汚れた皿をため込んでいるんだ、というツッコミと共に面白く読めるけれど、それで終わりの歌ではない。「泥棒」「警察」「洗う」という言葉の連なりから、「足を洗う」という慣用句がサブリミナル的に浮かび上がる。これに気付くと、洗う必要があるのはあくまで皿であるはずなのに、それとは別に、何か警察に見つかると大変な秘密をこの人は抱えているのではないか、という読みが錯視のようなかたちで見えてくる。

 

  エレベーターの扉が閉まるまではお辞儀そのあとはふくらはぎのストレッチ

 

 三句目での切れが、エレベーターが閉まる瞬間をイメージさせる。そして下句は、ストレッチによって伸ばされるふくらはぎ同様、字余りによって引き伸ばされている。歌の内容と韻律が緊密にリンクしている一首だ。

 

  なぜここは歯医者ばかりになったのと母は焦土を歩くみたいに

 

 「焦土を歩くみたいに」という表現に驚く。かかりつけの歯科医院がひとつあれば、それ以外の歯科医院に日常生活で関わることはまずない。自分の役に立たない施設ばかりが増える街の現状の空疎さを「焦土」と言っているわけだけれど、この言葉は少し特殊で、第二次世界大戦後の日本の惨状をどうしても想起させる。したがって、この歌は歯科医院の増加という時間経過による都市の発展に対し、それが不毛な発展であるばかりか、時間的に逆のベクトルの動き(都市の退化)であることを喩の力によって鮮やかに告発しているのだ。

 単に面白く、笑える作品でいいのであれば、別にわざわざ短歌でやらなくても、漫画やお笑いなど、他の表現方法でも十分実現可能だろう。けれど、これらの修辞の優れた歌を見ていくと、三田さんがいかに短歌というジャンルでしか踏み込めない領域で勝負しているかということがわかるだろう。「もうちょっと生き」てみた結果、「鬼と踊る」という驚愕の結論(?)に行き着いた三田さんの新たな一冊、ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。

 

 

著者プロフィール:

笹川諒(ささがわ・りょう)

長崎県生まれ、京都府在住。「短歌人」所属。歌集『水の聖歌隊』(書肆侃侃房、2021)。

Twitter笹川諒 (@ryosasa_river) | Twitter

鬼と踊る

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第二回:岡本拓也「資本論」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第二回:岡本拓也資本論

 

 

七に二をたしゃ九になるが

九になりゃまだまだいい方で

四に四をたしても苦になって

夢は夜ひらく

 

と三上寬が「夢は夜ひらく」で歌っているのを、三田三郎という、その名に含まれた数字を掛けると苦になるという因果なペンネームを背負った歌人の『鬼と踊る』を読んで思い出す。

三上/三田に共通するのは数字への執着である。

 

今日からはあなた以外の人間を鳩とみなして生活します

 

の鳩は平和の象徴なんかではなく、九=苦の苦界のメタファーだろう。そして遡ってクーックーッと啼きながら動き回るから鳩という漢字を当てられたという世界の場当たり性も感じさせる。

 

「知らなくて済むことですか」「まあ僕はコンゴの首都も知りませんから」

 

注意が必要なのはコンゴが二つあるということだろう。コンゴ共和国コンゴ民主共和国。両国の首都ブラザヴィルキンシャサコンゴ川を挟んで「双子都市」を形成している(首都が隣り合っているのは世界でここだけなのだ)。

つまりコンゴの歌には、帯にも引かれた傑作、

 

あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい

 

にも見られる2という数字への関心が隠されているのである。

歌集全体を通して仏教的なモチーフが散見されるが、仏典もわたしの記憶では数字に取りつかれたテクストであった。

 

筒井康隆が『サラダ記念日』のパロディ作品「カラダ記念日」を書いていて、刺青を彫ったヤクザ(この言葉にも893語源説があるが)の話なのだが、その中に、

 

一二三四五六七八九十十一十二十三十四

 

という短歌それ自体のパロディのような作品がある。

たしかに三田の短歌にも、

 

4時44分44秒の時計は見ても見なくてもいい

 

のような(この場合は4=死という)興味深い数字を短歌定型に落とし込むためだけに言葉が斡旋されているような作品がある。

では三田の短歌は「カラダ記念日」のような現代短歌のパロディなのであろうか。断じて、否である。

現代短歌は数字に優しい。今年ツイッターを賑わせた話題に、歌人はみずからの歌集の歌数を把握できていない、というトピックがある。これは短歌と資本主義社会の隔絶を明らかにする。資本主義社会においては、納品した商品の数はしっかりと把握されていなければいけないからである。このような磁場の作用によって、どれほど労働を歌っていようが現代短歌はどこか浮世離れしたファンタジー性を醸し出す。

しかし三田の数字への執着は、彼の歌に資本主義の影を帯びさせる。

 

交通量調査の男カチカチと心の中で起爆しながら

 

三田はたしかに、なにやら現代短歌らしからぬ奇妙なことをしようとしているようなのである。

 

 

著者プロフィール:

岡本拓也(おかもと・たくや)

1989年神奈川県生まれ。大阪府在住。

鬼と踊る

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第一回:多賀盛剛「千鳥足の菩薩」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第一回:多賀盛剛「千鳥足の菩薩」

 

 

千鳥足で来世へ向かう人間を輪廻からつまみ出すピンセット

 

鬼と踊るは、さいごこの短歌でおわる、

 

古代インドには因果応報ていうかんがえがあった、すべてのことには原因があるてかんがえた、そうかんがえると、それよりまえがなくて原因がかんがえられへん世界のはじまりはおかしいておもた、せやからこの世の流れは円環やておもた、ぐるぐるとはじまりもおわりもなく永遠につづく、

 

世界にははじまりもおわりもないのに、にんげんにそれがあるんはおかしいておもた、でも事実として出産と死は存在する、にんげんも永遠につづくとすれば、出産と死がくりかえされるんやないか、それが輪廻転生のかんがえになった、

 

インドにはカーストていう階級制度がある、カーストは親の階級をひきついで、その人生のなかでは変わらへん、うまれたときの階級でそのひとのくらしはかわるから、ひとにとってはくるしみでもある、因果応報と輪廻転生によって、その階級にうまれたんは前の生に原因があるてかんがえられた、さらに、ええおこないをしたらつぎの人生ではうえの階級にうまれることができるともかんがえた、この人生ではむくわれへん努力もいつかむくわれる、ええおこないをつづければ、ええ階級にうまれてええくらしがずっとできる、

 

でもええくらししてても、人生のなかではかなしみもくるしみもある、それが永遠にくりかえされるなんて、ぞっとした、輪廻することじたいがくるしみやったら、輪廻から解放されることがほんまの救いなんやないか、それが解脱のかんがえになった、解脱は悟りともいう、

 

鬼と踊るのさいごの短歌は、ピンセットでつままれてるんがなんかかなしげではあるけど、輪廻から解放されて、解脱してる、

 

ただ、ブッダはお酒のんだら解脱できひんていうてた、

 

お酒で解脱するなんて、ブッダにけんかうってる、

 

日本は仏教だけやなく、神道儒教とかにも影響うけてきた、それぞれがまざりあってきた、それぞれの宗教の教えは、さいしょはそれじたい一貫性があった、さいしょにかいた因果応報と輪廻転生のはなしもそのひとつで、せやから救いへの道も比較的シンプルでわかりやすい、でも日本はいろんな宗教がごちゃごちゃになって、救いの道もごちゃごちゃになった、

 

石を投げ鬼と一緒に踊るから賽の河原にレゲエを流せ

 

賽の河原はもともとの仏教になくて、日本の民間伝承がもとになってるていわれてる、親にさきだってしんだこどもは賽の河原で石を積んで塔をつくる、それが完成するまえに鬼にくずされる、せやから永遠に石積みをすることになる、永遠にこどもはくるしむ、もはや原初の仏教のような救いの道はなくなってしまった、

 

でもこのはなしはさいご菩薩がこどもを救いにきておわる、日本の仏教はじぶんの行為によってじぶんを救済するよりも、菩薩を信仰する宗教になった、

 

たしかに、救いの道がごちゃごちゃになった日本では、シンプルな救いの道は神頼みしかないんかもしれへん、それは、なんかようわからへんけどがんばれていわれて、なんかようわからへんけどちゃんといきろていわれる、いまの日本もそうなんかもしれへん、

 

ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか

 

でも神頼みなんか、きいてくれたはる気配もない、せやからけっきょく、じぶんの行為でじぶんを救済するしかない、

 

菩薩ていうことばは、もともと悟りをひらこてがんばってるひとのことあらわした、ブッダも悟りをひらくまえは菩薩やった、鬼と踊るのなかの菩薩は、賽の河原で鬼と踊ってこどもを救う、方法はむちゃくちゃかもしれへんけど、むちゃくちゃになった日本の宗教ではそれくらいでええんかもしれへん、

 

そのあとその菩薩は千鳥足で解脱してく、ブッダは飲酒したら解脱できひんていうてたけど、そんなことしったこっちゃない、ブッダも救えへんかった世界でこっちはいきてるんやから、

 

 

著者プロフィール:

多賀盛剛(たが・せいご)

1982年京都府京都市生まれ、京都市立山科中学校卒業。

TwitterSeigo Taga (@d2un) | Twitter

Note:多賀盛剛|note

鬼と踊る

MITASASA増刊号(歌集を読む!編6)

MITASASA増刊号(歌集を読む!編6)の配信を開始しました!

今回はPDFでの公開も行っておりますので、お好きな方法でお読みいただけましたら幸いです。

笹川諒『水の聖歌隊』の、19名による一首評です。

 

【寄稿者のみなさま(五十音順・敬称略)】

秋月祐一、石松佳、大橋弘岡本拓也、川上幸子、小俵鱚太、御殿山みなみ、近藤かすみ、鈴木秋馬、鈴木智子、多賀盛剛、道券はな、とみいえひろこ、toron*、中田明子、三田三郎、満島せしん、光本博、八上桐子

 

 【PDFへのリンク】

MITASASA増刊号(歌集を読む!編6).pdf - Google ドライブ

 

【ネプリ出力方法】

セブンイレブン→43138649

ローソン他コンビニ→45QEQLPQQ7

A3白黒2枚40円です。3/25(木)まで。

 

【歌集の購入について】

全国大型書店・Amazon等で購入可能です。

 

水の聖歌隊 (新鋭短歌シリーズ49)

水の聖歌隊 (新鋭短歌シリーズ49)

  • 作者:笹川 諒
  • 発売日: 2021/02/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

橘夏生『セルロイドの夜』の、好きな歌10首

「短歌人」の橘夏生さんの第三歌集、『セルロイドの夜』。六花書林、2020年。

 

巴里のふゆ書割りめきて羞(やさ)しきを睫毛に雪をためしリセアン

 

朱(あけ)の甍に雲すぎゆきぬサンタ・マリア・デル・フィオーレに春を残して

 

雨の朝上海に死すことのほか希ひはあらず過ぎし日おぼろ

 

昼の湯に浮かびし思惟は離れがたしたとへば閔妃暗殺について

 

かがやける夕雲のはてわれはまだ原子力の顔をみたことがない

 

下京区天使突抜(てんしつきぬけ) 雪晴れのさんぽはクノップフの豹をおともに

 

春雷のとどろきに須臾みゆるべしわが飼ひ殺しの金閣銀閣

 

パプリカの種抜きをへてキッチンは洋書売り場のやうにさびしい

 

トルソーの不在の首のかがよひをおもふまで碧き海に出でたり

 

うつしよに在るかなしさよ木枯らしのなかにジャングル・ジムは毀れず

 

 

おびただしい数の固有名詞が登場する。藤原龍一郎さんの<世界とは時代とは数限りなき固有名詞の羅列にすぎぬ>という歌を思ったりした。「デカダンスとイノセント」をテーマに、時代や国境を軽々と飛び越えながら、紡がれてゆく歌の数々。

 

セルロイドの夜

セルロイドの夜

  • 作者:橘 夏生
  • 発売日: 2020/12/18
  • メディア: 単行本
 

橘夏生『大阪ジュリエット』の、好きな歌10首

「短歌人」の橘夏生さんの第二歌集、『大阪ジュリエット』。青磁社、2016年。

 

けふもまた「恋は水色」の音にのつてわらびもち売り来たる不可思議

 

二十三階のバルコニーにて川本くんを待つわたしは大阪ジュリエット

 

都こんぶ嚙みつつおもふ夜の底森茉莉にさへ子がありしこと

 

訪れるひとなき家に閉ざされてココアの粉の散るゆふべかな

 

きみの背にほくろの星座見つけたり世界が終はるならこんな夜

 

天国ならどこにでもある新世界の串カツ屋の列にふたり並んで

 

寡婦われはゆめに檸檬を売りながら雨ふりしきるアッサムをゆく

 

ウォッカを喇叭飲みしてデンデラ野ゆく老婆はたしかにわたくし

 

オートバイを真紅の薔薇で埋めたりしアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

 

肢もとにともるペディキュア 最下級貴族のやうに街を歩かう

 

 

※以前書いた歌集の感想→橘夏生『大阪ジュリエット』 - Ryo Sasagawa's Blog

 

大阪ジュリエット―歌集

大阪ジュリエット―歌集

 

橘夏生『天然の美』の、好きな歌10首

「短歌人」の橘夏生さんの第一歌集、『天然の美』。雁書館、1992年。

 

羅(うすもの)をまとへばつねに身になじむわたくしといふ存在はこれ

 

なだらかな雲の波なすアルペジオわがために来し夏ぞとおもふ

 

性愛なぞに誰が惹かれる湯の底でわがくるぶしがうすく光れば

 

悦楽の悦といふ語に兄といふ文字みつけたる夏のいもうと

 

わが身につけられしごといつしか馴染めり地下道のコンクリートの創(きず)

 

何事か崩壊しつつあるらしきターン繰り返す午後のスウィマー

 

かくて美貌の夏は来たれりまはだかの孔雀を愛でるタマラ・ド・レンピッカ

 

人形にも猫にも自らの名をつける麗はしき幽閉の王子は

 

わが裡に破船の絵ありときをりは腐蝕すすめる筆をくはふる

 

詩歌なべてわれの頬殴つ鋭さに欠けて今宵みるルドンの<眼>

 

 

歌集の前半は、主体像がはっきり立ち上がってくるような歌が多い。後半では、栞の井辻朱美さんの言葉を借りると、「固有名詞一個を石としてはめこんだ指輪のようにきらびやかな歌」が中心になってくる。