【「ぱんたれい」vol.3販売情報 2023年6月11日更新】
「ぱんたれい」vol.3を発行いたしました。
販売情報をこちらのページにてお知らせいたします。
☆BOOTHによる通販(特典フリーペーパーあり)
☆購入可能な書店 ※敬称略
・がたんごとん(北海道)
・葉ね文庫(大阪)
・本屋ルヌガンガ(香川)
通販→「ぱんたれい」vol.3 | 本屋ルヌガンガ ネットショップ
・本屋ウニとスカッシュ(長崎)
バックナンバー
【「ぱんたれい」vol.3販売情報 2023年6月11日更新】
「ぱんたれい」vol.3を発行いたしました。
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最近の活動まとめ(2023年12月27日更新)
※2022年はこちら→最近の活動まとめ(2022年) - Ryo Sasagawa's Blog
☆短歌作品
・「ダスティーミラー」10首(「西瓜」第十号)
・「画商」8首(「かばん」2023年8月号)
・「カンタベリー」7首(ウェブサイト「詩客」)
カンタベリー 笹川 諒 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト
・「ボトルシップ」10首(「短歌人」2023年8月号)
・「まっさらな蜂」7首(ウェブマガジン「うちまちだんち」)
部屋にうたえば:第三十回 笹川諒×谷じゃこ | うちまちだんち
・「レモンと巡礼」10首(「ぱんたれい」vol.3)
・「銀河の音」7首(「短歌研究」2023年5・6月合併号)
・「年末年始(二〇二二~二〇二三)」10首(「西瓜」第八号)
・「白く複雑な街」20首(「西瓜」第七号)
・「紙の船を待つ」5首(「現代短歌新聞」2023年1月号)
☆文章
・時評 「現代短歌版百人一首という試み」[東直子『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』](「短歌人」2023年11月号)
・一首評 多賀盛剛『幸せな日々』(「MITASASA」増刊号 歌集を読む!編8)
MITASASA増刊号(歌集を読む!編8).pdf - Google ドライブ
・時評 「<夢>と<うつつ>の折り合い」[水原紫苑『巴里うたものがたり』『天國泥棒』](「短歌人」2023年9月号)
・一首評 安田茜『結晶質』(「西瓜」第九号)
・時評 「あまたなるあまぽおら」[川﨑あんな『triste』](「短歌人」2023年7月号)
・「「京大短歌」二十七号作品評」(「京大短歌」28号)
・時評 「言葉のない空間」[永井亘『空間における殺人の再現』](「短歌人」2023年5月号)
・時評 「鏡に映る深い森」[栗原寛『鏡の私小説』](「短歌人」2023年3月号)
・エッセイ 「漫画を読んで、短歌を作る」[たらちねジョン『海が走るエンドロール』](「Sister On a Water」vol.5)
・「言葉の世界による救済」[特集 15年目の笹井宏之](「ねむらない樹」vol.10)
・アンケート 「シェアしたい、茂吉のこの歌集」[斎藤茂吉『つゆじも』](「現代短歌」2023年3月号)
・時評 「声を響かせるには」[小林久美子『小さな径の画』](「短歌人」2023年1月号)
☆イベント、その他
・2月11日、5月6日、7月8日、9月15日、11月11日、12月28日 笹川諒さんと読むはじめての短歌会(長崎・本屋ウニとスカッシュにて)
・1月29日 大地たかこ歌集『薔薇の芽いくつ』批評会 パネリスト(大阪・たかつガーデンにて)
小黒世茂『九夏』評 笹川諒
「玲瓏」所属の著者の第六歌集。
しづみゐし空母信濃に白骨をゆらすかそかな水流あらむ
雲つぎつぎ雲をうみだす南端のちひさな石碑にしらゆり挿せり
歌集のタイトルでもある「九夏」という一連より。第二次世界大戦中に撃沈され、今も深海に眠る空母信濃と乗組員を慰霊する旅を詠う連作だ。この歌集には旅の歌が多く、他にも熊野、対馬、越中、巨勢などを訪ねた際の歌が収められている。これらの旅は小黒さんのライフワークでもある日本の源流の探索を目的としたもので、臨場感のある歌を通して、知的好奇心や冒険心が大いにかき立てられる。
姉すでに立ち枯れてゐた足もとにともしび茸をひからせてゐた
となりの部屋のぞけば崖つぷちありて来るんぢやないよ姉が叱りぬ
十四歳年上の姉との関係を詠った歌も心に残る。老いが兆し、体調も心配な姉だが、ユーモアを大事にしつつ前向きに日々を送る主体の姿には、読んでいるこちらまで励まされる。
なにかが来る前のやうにも遠のいた後のやうにも目をつむる馬
集中、最も好きな歌。馬は人間とは全く違う時間の流れの中を生きているのだろう。それでも、馬の時間がたしかにそこに流れていることを感じることだけなら、人間にもできるのだ。
(「短歌人」2022年2月号掲載)
20代・30代会員競詠 8首 笹川諒
神に鬱きざして春のひとしれず青く塗られてゆくハーモニカ
自分の性格がわからない川沿いの桜に首を絞められながら
わたしがいちばん図形だったとき、梅田でも迷うことはなかった
少しだけ歴史を信じるのもいいね旅の終わりに余った顔で
秩序からはるか離れて歩みゆく永遠のエイプリル・キャットよ
ありうべきわたしのように夕陽が沈む/彼は教会のようにやさしい
絵にも音にもならない不穏のための一行 苦しくない選択だった
奇跡のトウ・シューズが見えるとてもふかい緑のような疲れの中に
(「短歌人」2022年8月号掲載)
暮田真名さんの川柳について、過去に書いたものをまとめてみました。
どうしたら備長炭へご挨拶/暮田真名
意味不明なことを言っているように見えて、不思議と整合性がある。「備長炭」という単語の字面や響きのいかめしさ、実物のビジュアルの無骨な感じは、私たちが普段の日常で「ご挨拶」しておかなくては、と思うような偉い人たちが持つ属性とどこか似通っている。
備長炭を普段目にする機会といえば、焼き肉屋である場合が一番多いだろう。焼き肉屋のテーブルにつくと、七輪の中の備長炭と真正面から相まみえることになる。さて、何とご挨拶したものか……。
(初出:「川柳塔ミニエッセイ」2019年9月14日掲載分)
ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ/暮田真名
まず句の構造から確認すると、この句は『補遺』の中にも多く収録されている、暮田さんの得意な、既存の言い回しの一部を意外な言葉に入れ替えることで不思議な色合いを出してゆくタイプの句だといえる。たとえば、イメージの近い句に〈竜巻の取扱いに準じます〉という句があり、「○○の取り扱いに準じます」という定型としてある文の中に、とても取り扱うなんてできないような「竜巻」を代入することで、川柳として成立させている。
掲出句でも同様に、「○○にえさをやらなくちゃ」と普段言う場合、たとえば「ハムスターにえさをやらなくちゃ」というように、自分の管理下にありお世話する対象、つまり家で飼育できる比較的小さなペットに対して使う場面が想定される。そこに真逆の、めったに見ることのできない自然現象で、スケールも壮大なダイヤモンドダストを持ってきているところが面白い。自然現象を一個人が管理したり、面倒を見るということは有り得ないからだ。
かといって、スケールが大きい自然界のもの(ヒマラヤ山脈とかオーロラとか)なら何でもいいわけではなく、この「ダイヤモンドダスト」は動かない。それはダイヤモンドダストの細かな粒が、魚の餌である細かいプランクトンや小動物が食べる粉末の餌を何となく連想させるからだ。一見無茶苦茶なことを言っているようで、妙な言葉の動かなさがあるというのは、川柳を評価する場合の大事な指標の一つだといえるだろう。ここにこの句の強さがあると思う。
ここまでが句の構造で、次に、一句全体の読みについて考える。私はこの句から、少し大袈裟に言うと、川柳というフィールドの射程範囲の広さを感じた。川柳の世界ではダイヤモンドダストにさえ、餌を与えることを怠ってはいけないのだ。私はダイヤモンドダストの実物を実際に見たことはないし、これからも見ることがないかもしれない。それくらい遠い世界に存在しているものでも(むしろ遠いからこそ?)、いつでも血の通った言葉として句の中で使えるように、日頃からしっかりアンテナを張って、入念にメンテナンスをしておかなければならないのだ。ありとあらゆる単語を句の中に組み込める川柳だからこそ、言葉が上滑りしないように、自分から遠いところにある言葉こそ慎重に用いなければ、という作者の創作姿勢のようなものがこの句から垣間見えた気がして、今回はこの句を推し句に選んだ。
(初出:暮田真名『補遺』批評会 推し句バトル 発表要旨)
末弟はヒヤシンスより多いです/暮田真名
「末弟」は一番末の弟のことなので、そもそも二人以上の人物を指し示すことができない日本語だ。なので、この句は弟が何人いるかという話ではなくて、末弟とヒヤシンスを比較した際に弟の方に何が「多い」のか、が省略されている句だと考えられる。省略部分を強引に補うとすれば、たとえば、水を飲む量が多い、などになるだろう(それも変な話だけれど)。末弟とヒヤシンスを同じ土俵に引きずり出してくるところが面白い。
しかし、読み手はこの句を初めてぱっと見せられたとき、果たしてそのように句を読むだろうか。私は初読時、なぜこの人はそんなにたくさん弟がいるのだろう、と一瞬思ってしまった。ヒヤシンスといえば、水栽培をしたときに球根の末端から生えてくる無数の白い根っこを思い浮かべる人が多いだろう。無意識のうちに、ヒヤシンスの根っこの本数と弟の数を頭の中で比較してしまっていたのだ。「末弟」という一人しか指すことのできない単語と、「ヒヤシンス」と聞いて読み手がイメージする映像を巧みに利用した、言葉のイリュージョンのような句だと思う。
(初出:「MITASASA」第14号相互評)
良い寿司は関節がよく曲がるんだ/暮田真名
「良い○○は関節がよく曲がるんだ」というのは、いかにも何かの分野の職人が言いそうな台詞だ。でも、寿司には当然関節はない。にもかかわらず、寿司職人が寿司を握るときのしなやかな指の動きなんかを読み手はなぜか連想してしまい、不思議な気分にさせられる。
(初出:「短歌人」2021年2月号「現代川柳が面白い」より一部抜粋)
※初出時の文章から加筆・修正した部分もあります。