Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

1月31日の日記

短歌でお世話になっていた方の訃報を立て続けに聞いて、気持ちが沈んでいる。

 

小川佳世子さん

2018年頃から超結社の歌会でたびたびご一緒していた。僕の歌が1票とかのときに、小川さんが票を入れてくださっているということが不思議と何回かあった。そういうとき小川さんは静かで穏やかに、けれど、たとえ1票しか入ってなくても私は良い歌だと思った、ということが聞き手にはしっかり伝わるようなお話のされ方をされていて、すごく印象に残っている。

歌集を送ってくださったり、DMをくださったり、直接お話しする機会は少なかったものの、いつも見守ってくださっていた。Zoomの画面越しにお見かけしたのが最後になってしまった。

雨音を聞く仕事ならしてもいい何処か遠くの緑の窓で/『水が見ていた』

なかぞらはいずこですかとぜひ聞いてくださいそこにわたしはいます/『ゆきふる』

いつの日も川の水面に光ありどれほど空が疲れていても/『ジューンベリー

 

西勝洋一さん

『水の聖歌隊』の丁寧な感想のお葉書をいただいた。お葉書には髙瀬賞の受賞作を歌集に入れてもよかったんじゃないか、というアドバイスも。日頃の結社誌の作品にも目を留めていただいていることを知って嬉しかった。その他にも(僕の出身が長崎県諫早なので)諫早出身の友人がいるので親しみ深く思います、ということなどが書かれていた。一度だけでもお話ししてみたかった。

 

ご冥福をお祈りいたします。

最近の活動まとめ(2022年)

最近の活動まとめ(2022年12月8日更新)

※2021年はこちら→最近の活動まとめ(2021年) - Ryo Sasagawa's Blog

 

☆短歌作品

・「echo」12首(「歌壇」2022年12月号)

・「似非詩人の夏」10首(「西瓜」第六号)

・20代・30代歌人競詠 8首(「短歌人」2022年8月号)

・「長崎小景」7首(「短歌研究」2022年5月号)

・「メゾン野放図」10首(「西瓜」第四号)

・「紫犬」7首(「文學界」2022年5月号)

・「修復」15首(「短歌人」2022年4月号)

・「二月の果て」12首(「うた新聞」2022年3月号)

・「冬の雨」10首(「西瓜」第三号)

 

☆文章

・エッセイ 「一葉の記憶―私の公募短歌館―」(角川「短歌」2022年10月号)

・評論 「「詩線」に掲載された永井陽子の歌」(「短歌人」2022年9月号)

・一句鑑賞 暮田真名『ふりょの星』(「川柳スパイラル」第15号)

・歌集評 田村穂隆『湖とファルセット』(「現代短歌」2022年9月号)

・歌集評 奥田亡羊『花』(「うた新聞」2022年7月号)

・一首評 魚村晋太郎『銀耳』(「『銀耳』新装版刊行記念フリーペーパー」)

・「自選十首」、「受賞のことば」(「現代歌人集会会報」55号)

・「テーマに関連して最近思うこと」(「現代歌人集会会報」55号)

・「現代の飲食の秀歌30首」(「短歌人」2022年5月号)

・Book Review 遠藤由季『北緯43度』(「短歌人」2022年4月号)

・Book Review 加部洋祐『未来世』(「短歌人」2022年3月号)

歌人アンケート 「文庫で読みたい歌集」はこれだ(「短歌研究」2022年3月号)

・歌集評 田中成彦『即興曲』(「吻土」2022年2月号)

・歌集評 江戸雪『空白』(「西瓜」第三号)

・Book Review 小黒世茂『九夏』(「短歌人」2022年2月号)

・Book Review 西巻真『ダスビダーニャ』(「短歌人」2022年1月号)

 

☆イベント、その他

・12月10日 笹川諒さんと読むはじめての短歌会(第1回)[歌会](長崎・本屋ウニとスカッシュにて)

・7月23日 現代歌人集会春季大会 in 神戸「歌の読み方・読まれ方~震災からコロナまで~」 パネリスト(兵庫・神戸市教育会館にて)

・6月12日 トークイベント「水の聖歌隊は鬼と踊る」出演(大阪・梅田Lateralにて)

水の聖歌隊は鬼と踊る -

・5月4日~5月8日 グループ展「KOTOBA BEATS」に参加(大阪・今里BEATSにて)

KOTOBA BEATS2022年5月4日(水)〜 5月8日(日)

・4月 「現代短歌新聞」2022年4月号にインタビュー記事掲載

・1月23日 短歌人新年Zoomシンポジウム(テーマ=永井陽子の歌) パネリスト

・『のんびり読んで、すんなり身につく いちばんやさしい短歌』(横山未来子、日本文芸社)に『水の聖歌隊』から例歌として2首収録

・『短歌部、ただいま部員募集中!』(小島なお・千葉聡、岩波書店)に『水の聖歌隊』の短歌を原作にした四コマ漫画掲載

・『恋の短歌コレクション1000』(日本短歌総研、飯塚書店)に『水の聖歌隊』から2首収録

MITASASA増刊号(歌集を読む!編7)

MITASASA増刊号(歌集を読む!編7)の配信を開始しました!

今回はPDFでの公開も行っておりますので、お好きな方法でお読みいただけましたら幸いです。

三田三郎『鬼と踊る』の、13名による一首評です。

 

【寄稿者のみなさま(五十音順・敬称略)】

大橋なぎ咲、大橋弘岡本拓也、門脇篤史、笹川諒、鈴木智子、多賀盛剛、角天馬、道券はな、なかやまなな、光本博、虫追篤、八上桐子

 

 【PDFへのリンク】

MITASASA増刊号(歌集を読む!編7).pdf - Google ドライブ

 

【ネプリ出力方法】

セブンイレブン→40156549

ローソン他コンビニ→45QEQLPQQ7

A3白黒2枚40円です。10/30(土)まで。

 

【歌集の購入について】

全国大型書店・Amazon等で購入可能です。

鬼と踊る

原稿募集のお知らせ(MITASASA増刊号・『鬼と踊る』)

MITASASA増刊号(歌集を読む!編7)の原稿を募集いたします!

 

これまで六回にわたり、歌集を読む!編のネプリを発行してきましたが、七回目となる今回は、三田三郎第二歌集『鬼と踊る』(左右社、2021年)の一首評企画を行います。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、最近読んだ歌集の話を誰かとするというのもなかなか難しい状況の中、歌集の感想を大勢で共有できる機会があれば……というのが前回までと同様、この企画の趣旨です。どなたでもお気軽にご投稿ください。

 

『鬼と踊る』は、全国大型書店・Amazon・出版社への注文等で購入可能です。

 

【MITASASA増刊号 歌集を読む!編7】

 

配信方法:

ネットプリントTwitter等でのPDF公開 (2021年10月中旬頃予定)

 

募集内容:

三田三郎『鬼と踊る』から、好きな一首を選び、その歌についての200字程度の一首評(字数は、多少増減しても大丈夫です)。

※すみませんが、謝礼等はございません。ご了承ください。

 

締切:

①参加締切 2021/10/1

参加お申込みの際に、一首評をどの歌で書くかをお知らせください。希望の歌が重複した場合は、先着順にさせていただきます。

また、参加希望者があまりに多い場合は、募集を途中で締め切る場合もあります。

※参加したいけれど、どの歌で評を書くかをじっくり考えたいという方は、ひとまず参加のお申し込みをしていただき、歌の希望を10/1までに送っていただくという形でも大丈夫です。

 

②原稿締切 2021/10/8

 

参加申込み・原稿の送付:

Twitterの場合→MITASASAのアカウント(@ms_yogisha)宛にDM

メールの場合→ryo.ryo.ryo514☆gmail.com (☆を@に)

 

たくさんのご投稿、お待ちしております!

 

(以下、三田三郎『鬼と踊る』より六首抜粋)

生活を組み立てたいが手元にはおがくずみたいなパーツしかない
正義と悪みあってみあってはっけよいのこったのこった観客の勝ち
ぼろぼろの単語帳めくる少年よ頑張れ俺はもう頑張れない
気を付けろ俺は真顔のふりをしてマスクの下で笑っているぞ
あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい
店員に小銭を投げるおじいちゃん それを見て惚れ直すおばあちゃん

 

※ネプリの前号(歌集を読む!編6:笹川諒『水の聖歌隊』)は、下記のリンクから閲覧できます。

MITASASA増刊号(歌集を読む!編6).pdf - Google ドライブ

鬼と踊る

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第三回:笹川諒「第二歌集での進化」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第三回:笹川諒「第二歌集での進化」

 

 

  1日を2万で買ってくれるなら余生を売ってはいさようなら

  足痛いふりして歩く足痛い方が健康なような気がして

  ほろ酔いで窓辺に行くと危ないが素面で行くともっと危ない

 

 第一歌集の『もうちょっと生きる』(風詠社、2018)から三首引いた。自虐を基点にした奇抜な発想や酒の歌の多さといった特徴は、今回の第二歌集『鬼と踊る』へそのまま引き継がれている。しかし、『もうちょっと生きる』というタイトルの通り、第一歌集での作者の関心は目先の生/死にすごくフォーカスしていて、笑いながら面白く読める一方、危なっかしくてハラハラしてしまう部分もあった。

 

  パーティーで失言をした大臣のその時はまだ楽しげな顔

  あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい

  極限まで抽象化された父さんが換気扇から吹き込んでくる

 

 『鬼と踊る』から三首。今回の歌集では、「他者」の登場回数が前作と比べるとかなり増えていて、一気に作者の視界が開けたような印象を受けた。一首目は「ワイドショーだよ人生は」、二首目は「禁断の恋」、三首目は「故郷へ」という連作の中の歌。三田作品のメインテーマといえる人生、労働、飲酒に加え、社会、恋愛、家族といった、より多様な題材から歌を作ろうという姿勢を感じる。

 題材の広がりと呼応するように、短歌の修辞にも新たな展開がある。

 

  泥棒に入られたなら警察を呼ぶ前に洗うべき皿がある

 

 どれだけ汚れた皿をため込んでいるんだ、というツッコミと共に面白く読めるけれど、それで終わりの歌ではない。「泥棒」「警察」「洗う」という言葉の連なりから、「足を洗う」という慣用句がサブリミナル的に浮かび上がる。これに気付くと、洗う必要があるのはあくまで皿であるはずなのに、それとは別に、何か警察に見つかると大変な秘密をこの人は抱えているのではないか、という読みが錯視のようなかたちで見えてくる。

 

  エレベーターの扉が閉まるまではお辞儀そのあとはふくらはぎのストレッチ

 

 三句目での切れが、エレベーターが閉まる瞬間をイメージさせる。そして下句は、ストレッチによって伸ばされるふくらはぎ同様、字余りによって引き伸ばされている。歌の内容と韻律が緊密にリンクしている一首だ。

 

  なぜここは歯医者ばかりになったのと母は焦土を歩くみたいに

 

 「焦土を歩くみたいに」という表現に驚く。かかりつけの歯科医院がひとつあれば、それ以外の歯科医院に日常生活で関わることはまずない。自分の役に立たない施設ばかりが増える街の現状の空疎さを「焦土」と言っているわけだけれど、この言葉は少し特殊で、第二次世界大戦後の日本の惨状をどうしても想起させる。したがって、この歌は歯科医院の増加という時間経過による都市の発展に対し、それが不毛な発展であるばかりか、時間的に逆のベクトルの動き(都市の退化)であることを喩の力によって鮮やかに告発しているのだ。

 単に面白く、笑える作品でいいのであれば、別にわざわざ短歌でやらなくても、漫画やお笑いなど、他の表現方法でも十分実現可能だろう。けれど、これらの修辞の優れた歌を見ていくと、三田さんがいかに短歌というジャンルでしか踏み込めない領域で勝負しているかということがわかるだろう。「もうちょっと生き」てみた結果、「鬼と踊る」という驚愕の結論(?)に行き着いた三田さんの新たな一冊、ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。

 

 

著者プロフィール:

笹川 諒(ささがわ・りょう)

長崎県生まれ、京都府在住。「短歌人」所属。

歌集『水の聖歌隊』(2021年、書肆侃侃房)。

Twitter笹川諒 (@ryosasa_river) | Twitter

鬼と踊る

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第二回:岡本拓也「資本論」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第二回:岡本拓也資本論

 

 

七に二をたしゃ九になるが

九になりゃまだまだいい方で

四に四をたしても苦になって

夢は夜ひらく

 

と三上寬が「夢は夜ひらく」で歌っているのを、三田三郎という、その名に含まれた数字を掛けると苦になるという因果なペンネームを背負った歌人の『鬼と踊る』を読んで思い出す。

三上/三田に共通するのは数字への執着である。

 

今日からはあなた以外の人間を鳩とみなして生活します

 

の鳩は平和の象徴なんかではなく、九=苦の苦界のメタファーだろう。そして遡ってクーックーッと啼きながら動き回るから鳩という漢字を当てられたという世界の場当たり性も感じさせる。

 

「知らなくて済むことですか」「まあ僕はコンゴの首都も知りませんから」

 

注意が必要なのはコンゴが二つあるということだろう。コンゴ共和国コンゴ民主共和国。両国の首都ブラザヴィルキンシャサコンゴ川を挟んで「双子都市」を形成している(首都が隣り合っているのは世界でここだけなのだ)。

つまりコンゴの歌には、帯にも引かれた傑作、

 

あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい

 

にも見られる2という数字への関心が隠されているのである。

歌集全体を通して仏教的なモチーフが散見されるが、仏典もわたしの記憶では数字に取りつかれたテクストであった。

 

筒井康隆が『サラダ記念日』のパロディ作品「カラダ記念日」を書いていて、刺青を彫ったヤクザ(この言葉にも893語源説があるが)の話なのだが、その中に、

 

一二三四五六七八九十十一十二十三十四

 

という短歌それ自体のパロディのような作品がある。

たしかに三田の短歌にも、

 

4時44分44秒の時計は見ても見なくてもいい

 

のような(この場合は4=死という)興味深い数字を短歌定型に落とし込むためだけに言葉が斡旋されているような作品がある。

では三田の短歌は「カラダ記念日」のような現代短歌のパロディなのであろうか。断じて、否である。

現代短歌は数字に優しい。今年ツイッターを賑わせた話題に、歌人はみずからの歌集の歌数を把握できていない、というトピックがある。これは短歌と資本主義社会の隔絶を明らかにする。資本主義社会においては、納品した商品の数はしっかりと把握されていなければいけないからである。このような磁場の作用によって、どれほど労働を歌っていようが現代短歌はどこか浮世離れしたファンタジー性を醸し出す。

しかし三田の数字への執着は、彼の歌に資本主義の影を帯びさせる。

 

交通量調査の男カチカチと心の中で起爆しながら

 

三田はたしかに、なにやら現代短歌らしからぬ奇妙なことをしようとしているようなのである。

 

 

著者プロフィール:

岡本拓也(おかもと・たくや)

1989年神奈川県生まれ。大阪府在住。

鬼と踊る

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第一回:多賀盛剛「千鳥足の菩薩」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第一回:多賀盛剛「千鳥足の菩薩」

 

 

千鳥足で来世へ向かう人間を輪廻からつまみ出すピンセット

 

鬼と踊るは、さいごこの短歌でおわる、

 

古代インドには因果応報ていうかんがえがあった、すべてのことには原因があるてかんがえた、そうかんがえると、それよりまえがなくて原因がかんがえられへん世界のはじまりはおかしいておもた、せやからこの世の流れは円環やておもた、ぐるぐるとはじまりもおわりもなく永遠につづく、

 

世界にははじまりもおわりもないのに、にんげんにそれがあるんはおかしいておもた、でも事実として出産と死は存在する、にんげんも永遠につづくとすれば、出産と死がくりかえされるんやないか、それが輪廻転生のかんがえになった、

 

インドにはカーストていう階級制度がある、カーストは親の階級をひきついで、その人生のなかでは変わらへん、うまれたときの階級でそのひとのくらしはかわるから、ひとにとってはくるしみでもある、因果応報と輪廻転生によって、その階級にうまれたんは前の生に原因があるてかんがえられた、さらに、ええおこないをしたらつぎの人生ではうえの階級にうまれることができるともかんがえた、この人生ではむくわれへん努力もいつかむくわれる、ええおこないをつづければ、ええ階級にうまれてええくらしがずっとできる、

 

でもええくらししてても、人生のなかではかなしみもくるしみもある、それが永遠にくりかえされるなんて、ぞっとした、輪廻することじたいがくるしみやったら、輪廻から解放されることがほんまの救いなんやないか、それが解脱のかんがえになった、解脱は悟りともいう、

 

鬼と踊るのさいごの短歌は、ピンセットでつままれてるんがなんかかなしげではあるけど、輪廻から解放されて、解脱してる、

 

ただ、ブッダはお酒のんだら解脱できひんていうてた、

 

お酒で解脱するなんて、ブッダにけんかうってる、

 

日本は仏教だけやなく、神道儒教とかにも影響うけてきた、それぞれがまざりあってきた、それぞれの宗教の教えは、さいしょはそれじたい一貫性があった、さいしょにかいた因果応報と輪廻転生のはなしもそのひとつで、せやから救いへの道も比較的シンプルでわかりやすい、でも日本はいろんな宗教がごちゃごちゃになって、救いの道もごちゃごちゃになった、

 

石を投げ鬼と一緒に踊るから賽の河原にレゲエを流せ

 

賽の河原はもともとの仏教になくて、日本の民間伝承がもとになってるていわれてる、親にさきだってしんだこどもは賽の河原で石を積んで塔をつくる、それが完成するまえに鬼にくずされる、せやから永遠に石積みをすることになる、永遠にこどもはくるしむ、もはや原初の仏教のような救いの道はなくなってしまった、

 

でもこのはなしはさいご菩薩がこどもを救いにきておわる、日本の仏教はじぶんの行為によってじぶんを救済するよりも、菩薩を信仰する宗教になった、

 

たしかに、救いの道がごちゃごちゃになった日本では、シンプルな救いの道は神頼みしかないんかもしれへん、それは、なんかようわからへんけどがんばれていわれて、なんかようわからへんけどちゃんといきろていわれる、いまの日本もそうなんかもしれへん、

 

ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか

 

でも神頼みなんか、きいてくれたはる気配もない、せやからけっきょく、じぶんの行為でじぶんを救済するしかない、

 

菩薩ていうことばは、もともと悟りをひらこてがんばってるひとのことあらわした、ブッダも悟りをひらくまえは菩薩やった、鬼と踊るのなかの菩薩は、賽の河原で鬼と踊ってこどもを救う、方法はむちゃくちゃかもしれへんけど、むちゃくちゃになった日本の宗教ではそれくらいでええんかもしれへん、

 

そのあとその菩薩は千鳥足で解脱してく、ブッダは飲酒したら解脱できひんていうてたけど、そんなことしったこっちゃない、ブッダも救えへんかった世界でこっちはいきてるんやから、

 

 

著者プロフィール:

多賀盛剛(たが・せいご)

1982年京都府京都市生まれ、京都市立山科中学校卒業。

TwitterSeigo Taga (@d2un) | Twitter

Note:多賀盛剛|note

鬼と踊る