Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

暮田真名さんの川柳について書いたもののまとめ

暮田真名さんの川柳について、過去に書いたものをまとめてみました。

 

 どうしたら備長炭へご挨拶/暮田真名

 

 意味不明なことを言っているように見えて、不思議と整合性がある。「備長炭」という単語の字面や響きのいかめしさ、実物のビジュアルの無骨な感じは、私たちが普段の日常で「ご挨拶」しておかなくては、と思うような偉い人たちが持つ属性とどこか似通っている。

 備長炭を普段目にする機会といえば、焼き肉屋である場合が一番多いだろう。焼き肉屋のテーブルにつくと、七輪の中の備長炭と真正面から相まみえることになる。さて、何とご挨拶したものか……。

 (初出:「川柳塔ミニエッセイ」2019年9月14日掲載分)

 

 ダイヤモンドダストにえさをやらなくちゃ/暮田真名

 

 まず句の構造から確認すると、この句は『補遺』の中にも多く収録されている、暮田さんの得意な、既存の言い回しの一部を意外な言葉に入れ替えることで不思議な色合いを出してゆくタイプの句だといえる。たとえば、イメージの近い句に〈竜巻の取扱いに準じます〉という句があり、「○○の取り扱いに準じます」という定型としてある文の中に、とても取り扱うなんてできないような「竜巻」を代入することで、川柳として成立させている。
 掲出句でも同様に、「○○にえさをやらなくちゃ」と普段言う場合、たとえば「ハムスターにえさをやらなくちゃ」というように、自分の管理下にありお世話する対象、つまり家で飼育できる比較的小さなペットに対して使う場面が想定される。そこに真逆の、めったに見ることのできない自然現象で、スケールも壮大なダイヤモンドダストを持ってきているところが面白い。自然現象を一個人が管理したり、面倒を見るということは有り得ないからだ。
 かといって、スケールが大きい自然界のもの(ヒマラヤ山脈とかオーロラとか)なら何でもいいわけではなく、この「ダイヤモンドダスト」は動かない。それはダイヤモンドダストの細かな粒が、魚の餌である細かいプランクトンや小動物が食べる粉末の餌を何となく連想させるからだ。一見無茶苦茶なことを言っているようで、妙な言葉の動かなさがあるというのは、川柳を評価する場合の大事な指標の一つだといえるだろう。ここにこの句の強さがあると思う。
 ここまでが句の構造で、次に、一句全体の読みについて考える。私はこの句から、少し大袈裟に言うと、川柳というフィールドの射程範囲の広さを感じた。川柳の世界ではダイヤモンドダストにさえ、餌を与えることを怠ってはいけないのだ。私はダイヤモンドダストの実物を実際に見たことはないし、これからも見ることがないかもしれない。それくらい遠い世界に存在しているものでも(むしろ遠いからこそ?)、いつでも血の通った言葉として句の中で使えるように、日頃からしっかりアンテナを張って、入念にメンテナンスをしておかなければならないのだ。ありとあらゆる単語を句の中に組み込める川柳だからこそ、言葉が上滑りしないように、自分から遠いところにある言葉こそ慎重に用いなければ、という作者の創作姿勢のようなものがこの句から垣間見えた気がして、今回はこの句を推し句に選んだ。

 (初出:暮田真名『補遺』批評会 推し句バトル 発表要旨)

 

 末弟はヒヤシンスより多いです/暮田真名

 

 「末弟」は一番末の弟のことなので、そもそも二人以上の人物を指し示すことができない日本語だ。なので、この句は弟が何人いるかという話ではなくて、末弟とヒヤシンスを比較した際に弟の方に何が「多い」のか、が省略されている句だと考えられる。省略部分を強引に補うとすれば、たとえば、水を飲む量が多い、などになるだろう(それも変な話だけれど)。末弟とヒヤシンスを同じ土俵に引きずり出してくるところが面白い。

 しかし、読み手はこの句を初めてぱっと見せられたとき、果たしてそのように句を読むだろうか。私は初読時、なぜこの人はそんなにたくさん弟がいるのだろう、と一瞬思ってしまった。ヒヤシンスといえば、水栽培をしたときに球根の末端から生えてくる無数の白い根っこを思い浮かべる人が多いだろう。無意識のうちに、ヒヤシンスの根っこの本数と弟の数を頭の中で比較してしまっていたのだ。「末弟」という一人しか指すことのできない単語と、「ヒヤシンス」と聞いて読み手がイメージする映像を巧みに利用した、言葉のイリュージョンのような句だと思う。

 (初出:「MITASASA」第14号相互評)

 

 良い寿司は関節がよく曲がるんだ/暮田真名
 

 「良い○○は関節がよく曲がるんだ」というのは、いかにも何かの分野の職人が言いそうな台詞だ。でも、寿司には当然関節はない。にもかかわらず、寿司職人が寿司を握るときのしなやかな指の動きなんかを読み手はなぜか連想してしまい、不思議な気分にさせられる。

 (初出:「短歌人」2021年2月号「現代川柳が面白い」より一部抜粋)

 

※初出時の文章から加筆・修正した部分もあります。