Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

「詩線」に掲載された永井陽子の歌(「短歌人」2022年9月号)

「詩線」に掲載された永井陽子の歌 笹川諒

 

 「詩線」は、学生時代に同じ文芸部に所属していた大西美千代(詩)、黒田百合子(エッセイ)、永井陽子(短歌)の三名によって、一九七五年に創刊された同人誌だ。その後、瀬川良子、松平盟子も加入したが、十二号(一九八〇年)以降は、大西と永井の二人誌となり、三十二号(一九九二年)で終刊となった。
 永井は創刊号から終刊号まで毎号欠かさず短歌連作を発表しており、エッセイや書評など散文こそ色々と書いているものの、韻文に関しては短歌一本で勝負している。これに関しては相方の大西も同様で、韻文は詩のみを発表している。大西は後年「私は短歌に踏み込まず、彼女は詩に踏み込まないことで、お互いの距離を取り合っていたのだろう。(中略)短歌や詩について意見を戦わせるには、永井は短歌に、私は詩に本気でありすぎた」*1と述べていて、「詩線」がいかにストイックな同人誌であったかをうかがい知ることができる。
 「詩線」創刊号から終刊の三十二号までに掲載されている永井陽子の短歌を数えると、全部で四七九首あった。そのうち、二一七首がいずれかの歌集に収録されており、永井にとって「詩線」は作品の重要な発表媒体の一つであったといえる。それぞれの歌集ごとの収録歌の数の内訳は『なよたけ拾遺』六十三首、『樟の木のうた』五十九首、『ふしぎな楽器』三十七首、『モーツァルトの電話帳』十一首、『てまり唄』四十七首となっている(歌集収録歌かどうかは『永井陽子全歌集』の索引を使って逐一チェックしたが、改作のある歌などを見落としている可能性もあり、あくまで概数ということでご了承いただきたい)。

 

 『なよたけ拾遺』の時期(「詩線」一号~六号)

 

  なだらかに明日へとつづく橋を断つそのみなかみに鶴は燃ゆるも(一号)
  父は天にわたくしは地にねむる夜の内耳のあおい骨ふるえつつ(三号)

 など六十三首が、「詩線」で発表されたのち『なよたけ拾遺』に収録されている。仮名遣いは三号までは新かな表記、四号から旧かな表記に変更されている。この時期について永井は、父が他界し、遠からず老いてゆく母と二人の生活を守らなければならないという束縛がある中、「そんなことをいくら歌ってもしかたないから、私は歌の中でだけ思いっきりわがままで、軽く、非現実であろうとした。私ではない私が、作品の中にのみ生きていた」*2 と述べている。そのようにして生まれた『なよたけ拾遺』は、古典を下敷きにしながら現代とも接続する不思議な物語的空間を、一冊を通じて展開してみせた画期的な歌集となった。歌集の中でも異彩を放つのが、連作の途中にお囃子のような言葉が挿入される「風の説話」一連、非常に長い詞書を付した「邪鬼の見たもの」一連、四季の歌にちなんだ短い物語四篇から成る「散佚物語集」だが、これらはすべて「詩線」が初出の作品なのだ。総合誌や結社誌は歌数の指定や作品の掲載スペースの問題など様々な制約があるため、実験的な作品を発表するのにはあまり適さない。永井自身が立ち上げた「詩線」という思い通りに使える場があったからこそ、これらの斬新な作品が生まれ、『なよたけ拾遺』が誕生したことを思うと、「詩線」の果たした役割は大きいといえる。この時期だけに限らず、「詩線」に掲載されている永井作品は、普段よりさらに自由で伸びやかな印象を受けるものが多い。
 『なよたけ拾遺』に関しては、歌集刊行後の「詩線」八号に批評特集のページがあるが、これは読み物としてかなり面白い。歌集の感想として永井に送られた私信がそのまま転載されているため、普通の書評などとは異なり、きわめて率直に歌集に対する賛否が記されているからだ。「年頃私は、日常のなんでもを歌にせずば気のすまないという種の歌人のうたにうんざりしているものですから、あなたのように、選びとった上での世界のうたという方向に共鳴するものです」(佐竹彌生)や「歌集一巻として見ればその感受性がまだ生きていず、表現がもっと研がれるべきではないかと思いました。幻想風の作品ももうひとつリアリティに乏しいという印象です」(伊藤一彦)など、興味深いコメントが多い。

 

 『樟の木のうた』の時期(「詩線」七号~十六号)

 

  たはむれにかぶせくれたる面頬の汗くさき闇もあたたかかりき(十一号)
  大木の群生をぬけて星くさきみづを飲みしやジュラ紀のうさぎ(十六号)

 など五十九首が、「詩線」で発表されたのち『樟の木のうた』に収録されている。『樟の木のうた』は秀歌も多いが、永井の歌業全体を見渡すと、ある意味で過渡期の歌集だといえる。掲出歌「たはむれに~」を含む「竹刀」一連は永井にしては例外的に相聞色が強く、「山彦」一連は前作『なよたけ拾遺』の手法を引き継ぐ作品だ(「山彦」は「山彦が山へかへる朝」というタイトルで「詩線」十二号が初出)。また、職場など実生活を素材として扱う歌が登場する一方、次の『ふしぎな楽器』につながる遠くはるかな時間・空間にたましいを飛ばして詠んだような歌も多く見られる。バリエーションは豊かだが、まとまりに欠ける印象も否めない。
 以上のこととどの程度関係があるかはわからないが、この時期の「詩線」掲載歌は、歌集に収録されている割合が他の時期と比べてやや低い。たとえば、八号は十二首中一首、十号は十首中一首のみの収録だ。

  片親と末の子の家のあかときに時計がこぼす砂を想ひぬ(九号)
  たれか告げたき愛あるゆふべ庭隅のほほづきを染め風は過ぐるを(十号)
  あしたには死ぬやうなこともあらむやと新しき鉛筆全部をけづる(十五号)

 歌集から落とされた歌にはこのような歌がある。『てまり唄』以前の永井は、歌集から私性を徹底的に排除しようとしていた。水谷澄子が「どうやら永井は自分にとって恥ずかしいと思っている現状の表出を、私性と呼んでいるようだ」*3と述べているように、特に恋愛の歌、不安や心細さを詠んだ歌は、『樟の木のうた』にもほとんど収録されていない。

 

 『ふしぎな楽器』の時期(「詩線」十六号~二十五号)

 

  ここはアヴィニョンの橋にあらねど♩♩♩曇り日のした百合もて通る(二十一号)
  あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ(二十三号)

 など三十七首が、「詩線」で発表されたのち『ふしぎな楽器』に収録されている(ちなみに、十六号の「ジュラ紀のうさぎ」一連には、『樟の木のうた』に収録されている歌と『ふしぎな楽器』に収録されている歌の両方がある)。永井の自筆年譜の昭和59年(一九八四年)の項に「この頃より、短歌はふしぎな楽器であると思いはじめる」*4とあるが、「詩線」にもその時期、一九八四年八月に発行された二十一号の「曇り日のコンチェルト」をはじめ、「Generalpause」(二十二号)、「ガリレオの望遠鏡」(二十三号)、「秋の随身」(二十四号)といった音楽を一つの軸として据えた非常にクオリティの高い連作が掲載されている。その中には永井の代表歌「あはれしづかな~」も含まれていて、「詩線」二十三号で実際に歌の掲載を見つけたときは感慨深いものがあった。少し余談になるが、永井は「短歌人」一九八五年七月号の「ガリレオの望遠鏡」という文章で、「先ほど清書したばかりの「ガリレオの望遠鏡」から抜く。友人と二人で続けている雑誌(「詩線」と言います)のため書いたもの」と前置きし、「あはれしづかな~」の歌の自注を書いている。加えて「歌壇」一九八七年十二月号でも「ガリレオの望遠鏡」という同じタイトルの文章で再度「あはれしづかな~」の自注を書いていて、永井自身にとっても、会心の作だという自負があったのかもしれない。

  バラライカロシア料理の店にあるそのことをしもさびしくおもふ(二十三号)
  歌よその天与のうつは差しのべて盛らなむ秋の碧(あを)のかぎりを(二十四号)

 『ふしぎな楽器』からよく引用され、永井の音感や詩性が存分に発揮されたこれらの歌も、「詩線」が初出の歌だ。

 

 モーツァルトの電話帳』と『てまり唄』の時期(「詩線」二十六号~三十二号)

 

  おのづから意識の外をうつりゆく月光(ひかり)ありブランデーグラスもねむる(二十六号)
  たをやかに夢の世界を歩みゆく鶴を見きその鶴は病みにき(二十九号)

 など、『モーツァルトの電話帳』には十一首、『てまり唄』には四十七首が「詩線」で発表されたのちに収録されている。永井はあるインタビューで「砂子屋書房と河出書房の両方からお話があって、歌稿の整理を始めたときに、ああこれはとても一冊にして発表はできないな、と思いました」*5と述べているが、その結果、この時期に雑誌等で発表された作品の多くは最終的に、一つの連作の中に、『モーツァルトの電話帳』に収録される歌、『てまり歌』に収録される歌、歌集未収録の歌の三種類が混在することとなる。
 とはいえ、「詩線」は一九八九年十一月に三十一号が刊行されたのを最後に刊行がストップし、一九九二年の一月に三十二号(これまでのように冊子ではなくB4一枚、永井の短歌は五首のみ掲載)を刊行して終刊となるので、この二冊の歌集に関しては、「詩線」から歌集に収録された歌は数自体そこまで多くはなく、歌集の核を成すような歌もあまり含まれていない。
 以上、「詩線」に掲載された永井陽子作品を各歌集の制作時期ごとにその特徴を見てきたが、「詩線」には一つのテーマを基に永井と大西がお互いの意見を述べる「詩線の視線」や、永井の生の声に触れることができる「編集後記」など、作品以外にも注目すべき内容が多い。興味を持たれた方は、国立国会図書館等でぜひ閲覧していただけたらと思う。

 

*1 大西美千代「「詩線」の頃」(角川「短歌」二〇〇三年八月号)

*2 永井陽子「はるか遠い時代からの声」(永井陽子『モモタロウは泣かない』、ながらみ書房、二〇〇二年)

*3 水谷澄子「永井陽子の私性 チキンカツのお姉ちゃんから飴色の金魚への推移」(「短歌人」二〇二一年五月号)

*4 「永井陽子自筆年譜」(「歌壇」一九九一年十一月号)

*5 永井陽子インタビュー「『てまり唄』の世界」(久々湊盈子『歌の架橋 インタビュー集』、砂子屋書房、二〇〇九年)