Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「ぱんたれい」同人

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文 第二回:岡本拓也「資本論」

三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文

第二回:岡本拓也資本論

 

 

七に二をたしゃ九になるが

九になりゃまだまだいい方で

四に四をたしても苦になって

夢は夜ひらく

 

と三上寬が「夢は夜ひらく」で歌っているのを、三田三郎という、その名に含まれた数字を掛けると苦になるという因果なペンネームを背負った歌人の『鬼と踊る』を読んで思い出す。

三上/三田に共通するのは数字への執着である。

 

今日からはあなた以外の人間を鳩とみなして生活します

 

の鳩は平和の象徴なんかではなく、九=苦の苦界のメタファーだろう。そして遡ってクーックーッと啼きながら動き回るから鳩という漢字を当てられたという世界の場当たり性も感じさせる。

 

「知らなくて済むことですか」「まあ僕はコンゴの首都も知りませんから」

 

注意が必要なのはコンゴが二つあるということだろう。コンゴ共和国コンゴ民主共和国。両国の首都ブラザヴィルキンシャサコンゴ川を挟んで「双子都市」を形成している(首都が隣り合っているのは世界でここだけなのだ)。

つまりコンゴの歌には、帯にも引かれた傑作、

 

あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい

 

にも見られる2という数字への関心が隠されているのである。

歌集全体を通して仏教的なモチーフが散見されるが、仏典もわたしの記憶では数字に取りつかれたテクストであった。

 

筒井康隆が『サラダ記念日』のパロディ作品「カラダ記念日」を書いていて、刺青を彫ったヤクザ(この言葉にも893語源説があるが)の話なのだが、その中に、

 

一二三四五六七八九十十一十二十三十四

 

という短歌それ自体のパロディのような作品がある。

たしかに三田の短歌にも、

 

4時44分44秒の時計は見ても見なくてもいい

 

のような(この場合は4=死という)興味深い数字を短歌定型に落とし込むためだけに言葉が斡旋されているような作品がある。

では三田の短歌は「カラダ記念日」のような現代短歌のパロディなのであろうか。断じて、否である。

現代短歌は数字に優しい。今年ツイッターを賑わせた話題に、歌人はみずからの歌集の歌数を把握できていない、というトピックがある。これは短歌と資本主義社会の隔絶を明らかにする。資本主義社会においては、納品した商品の数はしっかりと把握されていなければいけないからである。このような磁場の作用によって、どれほど労働を歌っていようが現代短歌はどこか浮世離れしたファンタジー性を醸し出す。

しかし三田の数字への執着は、彼の歌に資本主義の影を帯びさせる。

 

交通量調査の男カチカチと心の中で起爆しながら

 

三田はたしかに、なにやら現代短歌らしからぬ奇妙なことをしようとしているようなのである。

 

 

著者プロフィール:

岡本拓也(おかもと・たくや)

1989年神奈川県生まれ。大阪府在住。

鬼と踊る