三田三郎『鬼と踊る』リレー推薦文
第一回:多賀盛剛「千鳥足の菩薩」
千鳥足で来世へ向かう人間を輪廻からつまみ出すピンセット
鬼と踊るは、さいごこの短歌でおわる、
古代インドには因果応報ていうかんがえがあった、すべてのことには原因があるてかんがえた、そうかんがえると、それよりまえがなくて原因がかんがえられへん世界のはじまりはおかしいておもた、せやからこの世の流れは円環やておもた、ぐるぐるとはじまりもおわりもなく永遠につづく、
世界にははじまりもおわりもないのに、にんげんにそれがあるんはおかしいておもた、でも事実として出産と死は存在する、にんげんも永遠につづくとすれば、出産と死がくりかえされるんやないか、それが輪廻転生のかんがえになった、
インドにはカーストていう階級制度がある、カーストは親の階級をひきついで、その人生のなかでは変わらへん、うまれたときの階級でそのひとのくらしはかわるから、ひとにとってはくるしみでもある、因果応報と輪廻転生によって、その階級にうまれたんは前の生に原因があるてかんがえられた、さらに、ええおこないをしたらつぎの人生ではうえの階級にうまれることができるともかんがえた、この人生ではむくわれへん努力もいつかむくわれる、ええおこないをつづければ、ええ階級にうまれてええくらしがずっとできる、
でもええくらししてても、人生のなかではかなしみもくるしみもある、それが永遠にくりかえされるなんて、ぞっとした、輪廻することじたいがくるしみやったら、輪廻から解放されることがほんまの救いなんやないか、それが解脱のかんがえになった、解脱は悟りともいう、
鬼と踊るのさいごの短歌は、ピンセットでつままれてるんがなんかかなしげではあるけど、輪廻から解放されて、解脱してる、
ただ、ブッダはお酒のんだら解脱できひんていうてた、
お酒で解脱するなんて、ブッダにけんかうってる、
日本は仏教だけやなく、神道、儒教とかにも影響うけてきた、それぞれがまざりあってきた、それぞれの宗教の教えは、さいしょはそれじたい一貫性があった、さいしょにかいた因果応報と輪廻転生のはなしもそのひとつで、せやから救いへの道も比較的シンプルでわかりやすい、でも日本はいろんな宗教がごちゃごちゃになって、救いの道もごちゃごちゃになった、
石を投げ鬼と一緒に踊るから賽の河原にレゲエを流せ
賽の河原はもともとの仏教になくて、日本の民間伝承がもとになってるていわれてる、親にさきだってしんだこどもは賽の河原で石を積んで塔をつくる、それが完成するまえに鬼にくずされる、せやから永遠に石積みをすることになる、永遠にこどもはくるしむ、もはや原初の仏教のような救いの道はなくなってしまった、
でもこのはなしはさいご菩薩がこどもを救いにきておわる、日本の仏教はじぶんの行為によってじぶんを救済するよりも、菩薩を信仰する宗教になった、
たしかに、救いの道がごちゃごちゃになった日本では、シンプルな救いの道は神頼みしかないんかもしれへん、それは、なんかようわからへんけどがんばれていわれて、なんかようわからへんけどちゃんといきろていわれる、いまの日本もそうなんかもしれへん、
ずっと神の救いを待ってるんですがちゃんとオーダー通ってますか
でも神頼みなんか、きいてくれたはる気配もない、せやからけっきょく、じぶんの行為でじぶんを救済するしかない、
菩薩ていうことばは、もともと悟りをひらこてがんばってるひとのことあらわした、ブッダも悟りをひらくまえは菩薩やった、鬼と踊るのなかの菩薩は、賽の河原で鬼と踊ってこどもを救う、方法はむちゃくちゃかもしれへんけど、むちゃくちゃになった日本の宗教ではそれくらいでええんかもしれへん、
そのあとその菩薩は千鳥足で解脱してく、ブッダは飲酒したら解脱できひんていうてたけど、そんなことしったこっちゃない、ブッダも救えへんかった世界でこっちはいきてるんやから、
著者プロフィール:
多賀盛剛(たが・せいご)
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Note:多賀盛剛|note