Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

<一首評>『短歌人』2016年5月号掲載分

濯ぎ物に冬の日の差すひるつかた泣きたいやうな無音がみつる (小島熱子)

 

 

洗濯や他の家事などの午前中の作業を終え、ふと窓の外に干した洗濯物を見遣る、という場面だろう。冬の弱い日差しが、真っ白な洗濯物を通すことではっきりと可視化される。それと同時に部屋の無音の中で、普段は水面下に沈んでいる(もしくは意図的に沈めている)自分の感情がありありと立ち現われてきて、一種の狼狽のような感覚が生じ、泣きそうな気分になった、という風に読んだ。日常生活の中で外部の事物と自己の内面が重なる一瞬を見事に切り取った一首である。

 

この歌は短歌人賞受賞第一作の「風花」という連作の一首目にあたる歌でもあり、連作の最初に置く歌としても印象が強くて良いなと思った。泣きたいような、と言いながらも、どこか静かな清冽さを感じさせる歌である。

 

 

雪玉を枝へと投げて今きみは雪降るなかに雪を降らせる (黒﨑聡美)

 

 

前後の歌から、「きみ」は少なくとも子どもではない、大人。作者にとってとても大事な人で、もしかしたら恋人かもしれない、という感じ。「きみ」と一緒に雪の降る中を歩いていると、「きみ」は無造作に足元の雪で雪玉を作り、近くの木(背の高い木だと思われる)に向かってそれを投げる。すると、雪玉は砕けてはらはらとまた地面に落ちる。「きみ」はそれを何度か繰り返すのだろう。そして、そんなことは何事もなかったかのように、全く別の話題でも口に出すのだろう。

 

だが、作者にとっては違う。雪玉が枝に当たって割れ、地面へと舞い落ちるまでの間、空から降りしきるたくさんの雪に混じって、「きみ」が降らせている雪が今ここに確かに存在していることを、痛切なまでに知覚しているのだ。自然という絶対的なものに対して、一瞬でこそあれ、「きみ」が介入しているということ。そして介入しうる万能の存在ですらあるように思えること。それくらい果てしのない感情を作者は「きみ」に抱いている。この歌を読んで、人間の抱く思いの強さ、美しさのようなものを再確認できた。

 

 

明け方に君がいなくてシーツには残らなかった幾つかのこと (鈴掛真)

 

 

こちらはさっきとは逆に、大事な人の不在を詠んだ歌。明け方にいないということは、仕事か何か特別な事情があって、「君」は作者の起床を待たずして外出していったと考えられる。さっきまで「君」が寝ていたはずのシーツには「君」によって作られたしわや、微かな「君」のにおい、髪の毛なんかが残っているのかもしれない。確かにそこに「君」の気配は十分に残されている。しかし、もちろんそれらからでは直接は遡及できない、シーツには残らなかった幾つかのことがあるのだ。「君」が昨日話していたこと、表情、そして、場合によっては「君」の作者に対する思いの可能性もある。

 

昨夜のできごとはまだ記憶に新しく、それが確かにあったことだと、ほとんどは信じられる。でもやはりそれは頭の中の記憶にすぎず、結局今目の前に残されている「君」の痕跡という具象と直接つながる「君」に関することを、作者は何度も反芻している、のではないだろうか。シンプルな言い回しがかえって強い感情を表現していて、心を打たれる。

 

 

※『短歌人』2016年5月号「私が選んだベスト3」より。短歌三首はすべて『短歌人』2016年3月号掲載分です。

 

『短歌人』の目次はこちら

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