すうべにあすべての川を渡りゆく記憶のひとつひとつに黄砂 (杜崎アオ)
『うたつかい』29号(2017年9月発行)掲載の一首。一読してすぐに意味がとれるタイプの歌ではないし、歌の意味を詳細に解釈しようとする読み手の姿勢さえも、この歌にはあまりふさわしくないのかもしれないけれど、今回はあえてそれを考えてみたいと思う。
・音韻について
「すうべにあ」とは、「souvenir」という英単語を指しているのだろう。「記念品、お土産」という意味である。僕は高校生の時にこの単語を覚えた記憶があって、フランス語由来のこの単語は、他の英単語と比べて発音がやや特殊で、印象的だった。もしかすると、杜崎さんにもどこかにそういう意識があったのかもしれない。そんな単語を「すうべにあ」と平仮名にして短歌に投入すると、日本語の単語には「あ」で終わる語はほとんどないし、ますます不思議な感じがアップする。(ちなみにフランス語の「souvenir」は発音的には「スヴニール」に近い感じになるので、この歌では英単語を指していると考えて大丈夫だろう。)
読み手の頭の中で「すうべにあ」→「souvenir」→「記念品?」という意味の変換を行うための時間を要求することで、す、う、べ、に、あ、と初句が限りなくゆっくり再生されることとなり、二句目の「すべての川をわたりゆく」の壮大なイメージを効果的に導いている。さらにそのイメージは、「す」の頭韻によって、ゆくりなく初句から二句へと手渡されるのである。
・「黄砂」とは何か
黄砂と言えば、家や車の窓ガラス等に付着しているものを連想する人が多いだろう。そこから、作者の思い描く心象風景では、一つ一つの「記憶」は、ガラス玉のようなイメージであることがわかる。黄砂は必ずしも美しいとは限らないが、一つ一つの記憶に付着することで初めて可視化されるものであり(すごい量の時は空気中でも見えるだろうけれど)、言わば一つ一つの記憶における「手垢」のようなもので、それこそがまさに「すうべにあ」(記念品、お土産)だという解釈が可能ではないだろうか。
自分のこれまでの人生における全ての記憶一つ一つに、自分の紋章とでも言うべき手垢のようなものが刻まれていることを慈しむ気持ちが、この歌には込められているのだろう。
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杜崎さんの短歌をもっと知りたいという方のために、杜崎さんがtwitterで発表されていた2017年の自選五首を紹介します。出典:https://twitter.com/morisaki_ao
なにもかもあたらしくする朝の水むねいっぱいにひかりをためて
のみこんだ水なまぬるい性欲はしずかにぼくの川をめぐるが
花の散りゆくさきはみなパラダイスきみのさびしいはだかがすきで
かくざとうかじれば人はさりさりと壊れるときも静かとおもう
守りながら守られていたゆうぐれの路上にいまもきみが待ってる
また、杜崎さんについて言及している文章がネット上にありましたので、ご参考までに(僕も後でじっくり読みます)。
東郷雄二さんのウェブサイト「橄欖追放」
http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran174.html
工藤吉生さんの短歌ブログ「存在しない何かへの憧れ」
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52145495.html
最後に!うたつかい30号の募集が始まってます!
僕も昨日「エミール・ガレの花器の変奏」という謎タイトルで五首出しました(笑)