岩尾淳子さんの第二歌集『岸』を読んだ。神戸の海岸沿いの風景や、実生活を詠んだ歌をベースにしながらも、繊細で詩的な表現にたびたびはっとさせられ、作者のバランス感覚の良さのようなものを感じつつ読み進んだ。
・帆をたたむように日暮れの教室に残されている世界史図説
どうやら作者は教師をしているようだ。「帆」という言葉から、世界史で学習するガレー船と教室のカーテンのイメージが浮かび、重なり合う。厚い図説独特の、ページのめくりにくい感じは「たたむ」と表現され、過不足のない美しい修辞が印象深い。
・六月の青葉を透けてくるひかり素肌のように硯をあらう
瑞々しい青葉を透過した光を浴びて、本来は硬いはずの硯が、まるで柔らかい素肌のように感じられる、という歌。作者の感覚の鋭さが際立つ。
・日に焼けてすこし汚れた酒蔵のけっこう多い浜の町ゆく
あとがきに「最近、神戸の街歩きを始めた」とある。「けっこう多い」がポイント。主観を排して、町の様子をつぶさに観察している様子が伝わってくる。
・とけそうな中州の縁にこの世しか知るはずもない水どりの群れ
歌集の中には、<秋天にエレベーターは吊られいて記憶のように晩年は見ゆ>という歌もある。実生活に根ざした歌を詠みつつも、それは此岸と彼岸、現在・過去・未来といった幅のある総体のあくまで一部でしかないという巨視的な視点を、作者は忘れてはいない。
・夏帽子かぶり直せばあこがれのように広がりゆく川の幅
個人的にはこのような歌に特に惹かれた。繊細な把握にこのような向日性が加わった時、作者の持っている美質が余すことなく読み手へと手渡されるような気がする。そんなことをふと感じた。
その他にも特に印象に残った歌を。
・遠き人のかたわらにいる心地してしばらく坐る睡蓮のそば
・灯のともる操車場へと戻り来るバスは静かなバスへ寄りゆく
・信号のみどりがきれいに見えている夕べあかるい道を帰ろう
・空を見て傘をひろげる青年の息しろければ駅ふくらめり
・いつかあの岬へ行こうと君はまた思い出みたいに「いつか」と告げる
今回、岩尾さんの第一歌集である『眠らない島』も合わせて読んだが、この二冊の歌集は実はかなり作風が異なっている。以下『眠らない島』より。
・はなたばのような大きな空洞に包まれてゆく ひどく眠たい
・ゆでたまごの殻がきれいにむけた朝 あたらしいかなしみはしずかだ
・こころなら聞こえているというように向きあったまま海鳥たちは
・見えなくてなお近づいてくるものを拒むのだろう水門のひと
まるで夢の中のような不思議な歌が続き、一読しただけではなかなか理解が及ばない歌も多かった。掲出した上記四首だけ見ても、すごく美しいと感じた歌もあれば、最後までどう読めば良いのか分からない歌もあった。
『眠らない島』と『岸』、どちらが好みかはきっと大きく分かれ、議論を呼ぶところではないかと思うけれど、僕は『岸』のバランス感覚、そして繊細な感覚の中にいつも明るさが見える美質を、作者の作風の進化と捉えて『岸』に一票を投じたい。