Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

近藤かすみ『雲ケ畑まで』

「短歌人」の関西歌会でもお世話になっている、近藤かすみさんの『雲ケ畑まで』を読んだ。 今日はとてつもなく暑い日だったけれど、読んでいると気持ちが涼しくなるような、背筋がシュッとするような、そんな一冊だった。以下、特に好きな歌について。

 

 

・忘れたきことのあれこれカルピスは白こそ良けれむかしながらに

 

 

カルピスに限らず、今まで自分がずっと愛飲してきた飲み物に新しい味がでると、何だか複雑な気持ちになる。僕の場合は高校時代の思い出がつまったマッチ(Match)という黄色の炭酸飲料に、最近になって新しくミックスベリー味というのが登場して、何だか裏切られたような気持ちがしている。

 

 

・キッチンの床にこぼしし米粒を集めゐてふいに溢るるなみだ

 

 

米粒は拾うけれども、涙はこぼれる。米粒と涙の粒(マンガの絵でよくあるような)の形状の類似が読み手にはイメージされて、不思議な感覚を覚える。

 

 

・白日傘さして私を捨てにゆく とつぴんぱらりと雲ケ畑まで

 

 

歌集のタイトルにもなっている「雲ヶ畑」、調べると実在する地名だということがわかり驚いた。「雲」という語と、白日傘の白が重なる。上句で「私を捨てにゆく」と一見恐ろしいことを言っているのだが、「とっぴんぱらり」と聞いて安心する。「とっぴんぱらり」は、「とっぴんぱらりのぷう」という物語の終わりを締める「めでたしめでたし」の意味に当たる言葉からとられていると思うが、この不思議な語感が、「私を捨てにゆく」ときの主体の心の状態を絶妙に言い表している気がする。

 

人生を重ねてゆくということは、小さな意味での死と再生を繰り返していくことだということを心得ているからこそ、主体は私を捨てたあとの新しい私に期待を馳せてもいるのだろう。「雲ヶ畑」という固有名詞もすごく良くて、行ったことのない人は誰しも、いったいどんな土地なのだろうと思いを巡らせるにちがいない。長くなったけれど、この歌は歌集の中でも一番印象に残った。

 

 

・銀婚の記念の旅は伊良湖崎いかな老後の夢描きけむ

 

 

この後に銀婚を終えた母親の急逝を歌った歌が続き、胸が痛む。伊良湖崎と言えば、三島由紀夫の『潮騒』の舞台。「老後の夢」のイメージが様々に膨らんで、いっそう切ない。さっきの歌の「雲ケ畑」と同様、地名の固有名詞が印象的だ。

 

 

・鬼灯が枯れてゐたつけはじめてのひとり暮らしの子のアパートに

 

 

鬼灯が枯れていた、というだけのことを歌っているのはずなのに、すごく鮮烈な歌。別に鬼灯が枯れていたからといって、そこに象徴的な意味合いはない、と言い切りたい主体の、それでも拭い切れないかすかな不安や子を思う親心が垣間見える秀歌だと思う。

 

 

他にも好きな歌を。

 

ダージリンティーにはちみつ垂らすときはつか溢せりひとには言はね

 

・ときをりは人の気配に酔ひたくて大丸地下へパン買ひにゆく

 

・水温むあさの訪れさみどりの萵苣洗ひつつ聴くモーツァルト

 

・散髪のタイミングで来るきみだから呼んでみようか散髪婚と

 

・兄のごとやさしき人と思ふとき窓より見ゆる卯の花しろし

 

雲ケ畑まで―近藤かすみ歌集

雲ケ畑まで―近藤かすみ歌集