Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「ぱんたれい」同人

『MITASASA』第13号、相互評

MITASASA第13号の相互評を公開いたします。今回はメンバーの三田三郎・笹川諒に加え、道券はなさんをゲストにお迎えしています。

 

踏切で立ち往生する婆さんの髪にどうしてピンクのメッシュ

/三田三郎「ハッピーシティー

 

 「婆さん」という言葉からは、主体の人懐っこい性格と、高齢女性へのざっくりとした親しみが感じられる。また、「立ち往生する」の二句八音のおおらかなリズムは、「婆さん」のゆっくりとした動作を彷彿とさせて巧みだ。このおおらかさは、まだ電車の来ていない平和な情景ゆえだろうが、踏切は本来いつ電車が来てもおかしくない危険な場所でもある。この平和と危険が同居する感じは、日常に潜む死の影を思わせて印象深い。

 下句では、三句四句の句またがりで「婆さんの/髪に」と分かれ、髪の前に一拍置かれることで、髪に注目を集めている。白髪が黄ばんで見えないように少量施す紫色の染料が変色してピンクに見えたのか、若々しい格好を本人が選んだのか……意外な髪色は読者の想像を掻き立てるとともに、おかしさや彼女の力強さ、生きる力を強く印象づけている。「髪に」から息継ぎなしで「どうして」に移り、そこから終わりまでたたみかけるようなリズムも、その力強さを後押ししている。

 情報量の過不足のなさや、景の描写から砕けた口調の独白への繋ぎ方など、細かいところまで意識が行き届いて、洗練された歌という印象だった。<道券>

 

風邪引きの体には鐘が吊されるゆえに幼い夕暮れを呼ぶ

/笹川諒「向こう岸」

 

 鐘は鳴るものだが、ほとんどの時間は鳴らずに沈黙している。こういった鐘の性質、鳴る可能性を内包しつつ静寂のなかにあるという鐘の二面性は、主体が内包する心の葛藤を思わせる。「吊される」という受身にも、主体にとっての鐘の非操作性、不如意の感じがよく表れている。また、風邪で体が弱って気弱になり感情の制御がつかなくなる感じや、鐘の重さと体調不良ゆえの体の重さといったイメージのゆるい繋がりが、「風邪」から「鐘」への飛躍を無理なく成功させている。上句は特にカ音が多用されて歯切れがいいが、どこか間延びしたような二句八音のリズムでうまく緩和されているのもいい。

 三句四句の句またがりのぎこちないリズムが力んだ感じを生むこともあって、「ゆえに」はやや強引に因果関係を結んでいるように思える。しかし、幼い頃風邪で学校を休んで一人で家に寝ていると、いつのまにか夕暮れになっていた……そんな連想を喚起する「風邪」や「幼い」、「夕暮れ」といったモチーフ選びの効果で、ここも無理なくまとまっている。

 夕暮れを「呼ぶ」のは主体だろうが、幼い頃の甘い郷愁に自ら身を委ねる陶酔感が淡く出ていて、それが一首全体の印象を決定づけて魅力的だった。<道券>

 

中指とひとさし指で前髪を挟むあなたの眩しげな顔

/道券はな「チェルシー

 

 「中指とひとさし指で前髪を挟む」のは、「あなた」の癖なのだろうか。前髪を整えたいのか、単に手癖なのかわからないけれど、「眩しげな顔」とあるので、その二本の指がふいにピースサインに見えたのだろう。ひょんなところでピースサインを発見した主体だが、先ほどの「眩しげな顔」からは、どこか「あなた」との間に一定の距離があるような印象も受ける。普段、主体に向かってピースサインをするようなことはない関柄なのかもしれない。しかし、まだ距離があるからこそ、ほんの些細な仕草ひとつをきっかけに、その人のきわめて本質的な部分を期せずして覗き見てしまったかのような、静かな高揚感もこの歌には漂っているような気がした。連作全体で見ると、二つ前の歌に「冷えた鋏」の出てくる歌があり、掲出歌のピースサイン(と、ここでは仮定して読んだが)と響きあう構造になっている。<笹川>

 

言うことの少なくなった去り際にひかりを容れてくるエレベーター

/道券はな「チェルシー

 

 いくら親密な間柄であっても、一日中会話が絶えないということはそうそうなく、解散が近づく頃にはたいてい話題も尽きてくる。解散のタイミングがあらかじめ定められていない場合、そもそも熱心に話し込んだからこそ話題が尽きたはずなのに、そのことによって、最初から会話がないケースよりもよりいっそう気まずい雰囲気が醸成され、解散のタイミングが早まってしまうといった、アイロニカルな結末が訪れたりすることもある。ただ、話題が尽きて解散するとき、決してみながみな解散したくて解散するわけではない。二人で会っていたとして、一方が、あるいは双方が、会話はなくとももっと一緒にいたいと思いつつ、暗黙の裡に解散の合意へと至ることは、往々にしてある。この歌もまさにそのケースだろう。エレベーターの中で二人は、解散が近づいてくる気配を感じ取ってしまう。そのときの「ひかり」は、寂しさを紛らわせてくれる慰めなのか、人間の儚くも美しい関係に対する祝福なのか、はたまたありがたくも鬱陶しい「余計なお世話」なのか。「容れてくる」という絶妙な言葉選びも手伝って、この歌は「ひかり」の両義的/多義的な豊かさを表現することに成功している。<三田>