Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

『MITASASA』第11号、相互評

MITASASA第11号の相互評を公開いたします。今回はメンバーの三田三郎・笹川諒に加え、詩人の櫻井周太さんをゲストにお迎えしています。

 

☆川柳

 

夕立が係長だけ狙い撃ち/三田三郎

 

 突如としてやってきた「夕立」に見舞われる係長。時間設定から一日の労働による疲れもあるはずだ。しかし部下はどこか安全地帯からそれを見ていて、助けるつもりはなさそう。「係長だけ」の「夕立」によって空間的に断絶された彼は孤独であり、はたから見ている私たちには滑稽に映る。けれどもそれは、なんだか優しい滑稽さだ。

 係長は平社員からは比較的近い位置にいる上司。非常に頼れることもあるが、理不尽な要求に頭にくることも度々だろう(かくいう私もその一人だ)。だがこの句の係長は憎しみの対象というよりは、どうにも放っておけない気になる人、くらいに思える。個人的な感情の枠に嵌っていないというべきか、そのために読後感がすっきりとしていて気持ちいい。

 勝手に平社員設定にしてしまったが、課長目線でも受付嬢目線でも印象はさほど変わらないだろう。夕立に降られる係長だけがゆるぎなくて、やっぱり少し可哀想だ。(笑)<櫻井>

 

☆短歌

 

向こうからきみが歩いてくる夢の、貝の博物館は冷えるね/笹川諒

 

 上の句は判然としない「向こう」から歩いてくる「きみ」を受動的に見ている夢らしさの描写。どこか甘美さが漂うのはその後に配置された「貝」がボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を思わせるからだろうか。何気ない上の句を読点で分断しつつも下の句で強固に繋ぎ合わせ、この歌は「博物館」という具体的な場を提供する。

 しかしそれはただ現実的な男女の関係に落とし込む役割を果たしているのではない。おそらく展示のために肉体が失われた貝は、内側に虹色の真珠層を残す殻のみとなっているのであり、私にはここでもまだ詠み手と「きみ」は夢にとどまっているように思える。夢の座はこの博物館の貝のように常に空席で、その周辺をどれだけきらびやかに飾って人を魅了しようとも、誰も住まうことはできないものではないだろうか?

 だからこそ笹川さんは「冷えるね」という語りかけを選んだ。この夢を感覚のある現実に、いや、明晰夢にして読者を一時的にでも夢の座へ取り込むために。おかげで私たちは彼の招いた世界を訪れ、その言葉に心の底から頷くことができる。これ自体が夢の魔法のような歌。<櫻井>

 

☆詩

 

「分身」/櫻井周太

 

子のナイフも

使い続けているうちに

どちらかがより刃こぼれする

ということになる

(第一連、冒頭より引用)

 

 冒頭からの「双子のナイフ」についての記述は、突如として「ということになる」と打ち切られる。その後、「電話が通じているあいだに」と別の話が始まったかと思えば、再度すぐに「もうない」と締め括られる。言葉が連なって意味が高まり、読者がそれに掴まって飛び乗ろうとする度、急停車で振り落とされてしまう。この切り替えはまるでサッカーのオフサイドトラップのようだ。巧みなオフサイドトラップマスゲームのような芸術性を帯びるのと同じく、この詩の序盤における二度の急激な中断は鮮やかで快楽的だ。サッカーの比喩を引っ張るならば、オフサイドでボールを奪った後、この詩は長短・緩急、様々なパスを織り交ぜながら、丁寧にボールを前線に運んでいく。そして最終部、「どうだろうか」と上げられたセンタリングは、「僕たちの喉も震えて」で見事にゴールへと押し込まれるのだ。<三田>

 

 僕たちは朝、目を覚ましたときに、昨夜眠りについた時の自分と今の自分が全く同一であることを、信じて疑わない。けれども、毎朝同じ体に同じこころが戻ってくるなんて、考えてみるととても不思議なことだ。奇想天外な異次元の世界の夢なんかを見て目覚めると、よく元通りにここまで帰って来れたなと思ったりする。一見、何の変哲もなく昨日と今日、そして明日は連続しているようでいて、そのシークエンスの中に、ほんのわずかな刃こぼれのような綻びをつい見つけてしまうひと、「次にどうやって目覚めるのかわからなくて」(第一連十二行目)と言うひとの、静かな言葉が一歩ずつどこへ向かって進んでいくのだろうと思いながら、この詩を読んだ。

昨日と今日、僕と君、それからビニール袋のような些末な物質に至るまで、ありとあらゆるものが「着せ替え可能」(第一連十行目)なようでありながら、それらの代替可能性を維持するには「辻褄あわせに奔走する」(第二連四行目)必要がある。その辻褄あわせを行っているのは、神のような何か大いなる力かもしれないし、世界の経済システムかもしれないし、僕自身であるのかもしれない。「どうだろうか」(第二連十六行目)というシンプルな問いかけが、まるでナイフのように僕たちへと向けられる。<笹川>