投手としての笹川さん 三田三郎
笹川さんはまず、ピッチングの基本であるストレートが素晴らしい。そして、笹川さんのストレートは、打者の手元で微妙に動く今はやりの「ツーシーム」ではなく、ボールの縫い目にしっかりと指をかけて投げる、回転が美しく打者の手元で伸びる「フォーシーム」である。
知恵の輪を解いているその指先に生まれては消えてゆく即興詩
祈っても祈らなくても来る明日におそらく使い切る黄の付箋
二首とも冒頭から言葉が直線的に末尾へと向かっている。言葉がシームレスに連なり、結末へ向かってテンションが静かに、だが確かに亢進してゆく。そして、その高まりがピークに達したころ、結句がそれまでのダイナミックな道程をがっしりと受け止めることで、ポエジーを脱時間的かつ脱空間的な一点において固定的に結晶させている。
笹川さんはストレートを投げるとき、それでは暴投になってしまうのではないかと心配になるほど、思い切りよく振りかぶっているように見える。だが、そんなこちらの心配をよそに、ボールはあたかも目的地しか眼中にないかのように、まっしぐらにキャッチャーミットへと向かい、見事に打者の外角低めいっぱいに決まる。打者は一本取られたとばかりに、空を仰ぐことしかできない。
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笹川さんは数種類の変化球を投げるが、その中で最も精度が高いのはカーブである。一口にカーブと言ってもいくつかのタイプがあるが、笹川さんが投げるのは縦に大きく割れる「ドロップ」のように思える。
日本酒の化粧水ふと手に取ってこれは雌雄を知らない白だ
雨の日のプロムナードは雨に濡れあなたはずっとずっとよその子
こうした歌は、上の句と下の句の間に大きな転回点を持ち、そこに読者は驚き感嘆する。だが、決して歌の途中に断絶があるわけではなく、むしろ滑らかな繋がりが強固に保たれている。そして、上の句から下の句を導き出すことなど到底できないように思える一方で、自律性を獲得した上の句が明確な意志に基づいて下の句へ辿りついたかのようにも思え、そうした不思議なアンビバレンスが歌の魅力となっている。
笹川さんのカーブは、ストレートよりもやや大人しいモーションで投げられているように見える。そして、ゆったりと放たれたボールは、束の間高めへ逸れたかのように思わせながら、ある一点で突如として大きく変化をはじめ、打者が慌ててバットを構え直した頃には、既にストライクゾーンへと突き刺さっている。これには打者も手が出ず、呆気にとられるしかないだろう。
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笹川さんは他にも、キレのあるシュートを投げる。そのシュートは途中までストレートの軌道をなぞりながら、打者がバットを出そうとするや否や、その手元に鋭く食い込んでくる。
特急の座席でよく行く美術館のにおいがふいにして 雨は鐘
ああきみがパンをたくさん買ってきた夜はきんいろの猫だった
二首とも結末の直前までスムーズに言葉が流れてゆくが、最後の最後に思わぬ急旋回を見せる。これらの歌には、言葉が結末へと収斂してゆくことに対する抵抗感が表れているように思われる。笹川さんは、結末において言葉が鮮やかに収斂するような歌を作る一方で、言葉が収斂しようとする寸前に力業でそれを回避するような歌をも作る。そのようにして別種の力学を引き入れることで、歌集という世界に緊張感をもたらしている。
笹川さんはシュートを投げるとき、フォームこそゆったりとしているものの、指に込められた力は他の球種よりも強いように窺われる。そうして投げられたシュートに、打者は戦慄すること間違いない。笹川さんのシュートは、予見されることへの忌避感を色濃く滲ませながら、打者に鋭く切り込んでくるからである。それを単なるストレートだと思って打ちにいった打者は、ただの凡打で済めばマシな方で、大抵はバットをへし折られることになるだろう。
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笹川さんが投げる球種はまだ他にもあるが、紙幅の都合もあるのでここからは簡潔な紹介にとどめたい。
「いつかおまえと生死を賭けて戦う」と言ってたクラスメイトがいたな
文字通りに読めば不穏に感じられる発言が上の句で示されるが、一首全体を通過してみれば、いつの間にかノスタルジックなユーモアに覆われた場所へと到着している。これは緩急の効いたチェンジアップである。最初はストレートのような表情をしながら、最後はふわっと優しく落ちてキャッチャーミットへと収まる。
次はどうだろうか。
パイナップルジュース(ひかりのような噓)きみは何回でも眠るから
言葉の意味が確定しないまま、オーバーラップするように次の言葉が登場してくる。歌は最後まで意味の不確定を心地良く漂う。これはナックルに違いない。ふわふわと楽しげに揺れながら、一方で打者に芯で捉えられることを毅然と拒絶する。
最後に、これはどうだろうか。
一冊の詩集のような映画があって話すとき僕はマッチ箱が見えている
なんと第二句が二つある。破調だと言って片付けるのは簡単だが、そんなことは断じて許さずに正面から向き合うことを強いるような、異様な迫力に満ちた相貌をしている。これは何という球種だろうか。二段階で曲がるカーブのようにも見えるかもしれないが、そんな単純なものではないだろう。これは名前のない球種、まだ他の誰も投げたことのない球種で、おそらくは笹川さんも実戦ではこの一度しか投げていないように思える。
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いかがだっただろうか。実のところ、まだ笹川さんの球種を全て網羅的に紹介できたわけではない。ただ、笹川さんが多くの球種を自在に操る名投手であることはもう十分に納得してもらえたことと思う。それに対する打者としては、笹川さんの投げるボールを、じっくりと見送ってその球筋を味わうもよし、バットを振って勝負するもよし、様々に楽しむことができるだろう。
笹川さんの投球のバリエーションは現時点でも既に恐ろしいほど多彩だが、もっと恐ろしいのは、最後に挙げた球種に示唆されるように、まだまだ新たな球種を会得しようと試行錯誤していることである。笹川さんは今後も貪欲に投球の幅を広げてゆくに違いない。
(MITASASA第16号 2021年2月12日発行 三田三郎)