「短歌人」の紺野裕子さんの第三歌集、『窓は閉めたままで』。短歌研究社、2017年。
出前用のバイクはふかく傾けり さびしい夜の碇とおもふ
昼間(もしくは震災前)は町を走り回っていたバイクが、大きく傾いた状態で停められている。福島の人々の抱える精神的な負荷と目の前の情景が重なる。「碇」という言葉がギリギリの所で何とか自らを繋ぎ留めている人々の思いを連想させ、印象的な歌だった。
汚染水の流出止まずふるさとのずつしりおもい桃を切りわく
福島の名産である桃のずっしりとした重みから、依然として流出の止まらない汚染水に象徴される、福島の人々の行き場のない思いを感じる。切り分けるという動作はまるで痛みを分け合っているかのようだ。
わがまなこ字幕を追へりイェヌーファの歓喜にかはるその場面さへ
外国語のオペラをDVD等で鑑賞していて、山場のシーンであっても役者の演技だけに集中することなく、画面の字幕を目で追っている自分に気付き、はっとする。我々の日常生活がいかに言語に依存しているかについて、改めて考えさせられた。
小高地区を祭り終はればあるくなりただ見るのみの一人の歩き
たれかれの消息にはなし及ぶとき放射線量つもるふくしま
刈りたての芝のあをさを鶺鴒の一羽すずしくひだりへ移る
家畜にはあらずペットにもあらず生きのびた牛草食むをみる
かなしみは伏流水となりてゐむペットボトルのみづが揺れをり