Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

『あみもの』第二十号を読む②

前回の記事に引き続き、『あみもの』第二十号を読みます。

ちなみに、前回はこちら→『あみもの』第二十号を読む① - Ryo Sasagawa's Blog

 

寄付をしたその100円は貰えないなのになんでか礼を言われた/中牟田政也

 

連作の流れを読むと、募金をしたのは牛丼屋のレジの募金箱かなと思う。店員さんはとりあえず形式的にお礼をしただけかもしれないけれど、主体にはそのお礼が印象に残ったのだ。それはやっぱり「100円」だったからではないか。10円以下の小銭を募金することは時々あっても、100円を募金するのはまあまあ勇気がいる(私見ですが)。店員さんのお礼の中に何か、こころの機微のようなものを主体は感じたのかもしれない。

 

緊張をしないわけない絶対に一本取るウーマンだ私は/さはらや

 

剣道の合宿や試合について描いた「竹刀」という連作の中の一首。緊張している「私」は自分自身に、「絶対に一本取るウーマンだ」と言い聞かせる。ユーモラスな言い回しを頭に思い浮かべることで、緊張が少しほぐれそう。でもそれだけではなくて、「ウーマン」という言葉は「キャリアウーマン」を連想させて、「きっちり仕事をこなす」=「絶対に一本取る」という風にイメージがつながってくる。実際に作者自身が試合中に唱えている言葉であるかのようなリアリティを感じた。

 

生命が俺はここだと言うように私を焦がして溢れさせてく/なんな

 

「夏季の短歌」という連作の中の一首。「私」から溢れるのは汗だろうか。主体の「私」にとって他者のような存在として「生命」があり、その一人称が「俺」であるという、独自の把握が面白い。夏という季節特有の感覚を歌にしている。

 

飢饉とも思えんのだが皆何故か蛙の卵を吸うておるのう/他人が見た夢の話

 

「侍トラベラー」という、江戸時代から現在にタイムスリップしてきた主体、という設定の連作の中の一首。今回『あみもの』を読んでいて、空想上のキャラクターや舞台を設定した上での連作が結構多いことに少し驚いた。『あみもの』の自由な雰囲気と、結社誌のように選歌がないことが、様々なバリエーションの連作にトライできる環境を生んでいるのかなと思ったりした。少し話が逸れたけれど、掲出歌はタピオカを江戸時代の人がもし見たら蛙の卵だと思うんじゃないか、という発想に加え、「飢饉とも思えんのだが」というところで思わずクスッとしてしまう、ユーモアたっぷりの歌。

 

暑くても 頑張りながら 外出れば そこはもうすでに 談笑の町/さくら

 

編集後記の御殿山さんのコメントを読むと、普段から分かち書きのスタイルで作品を作られている方のようだ。暑いのに頑張って家の外に出かけてみたら、すでに友人や近所の人たちは楽しそうにおしゃべりをしていた。日常の中にある小さな壁を乗り越えた先の、ささやかな喜び。