Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「ぱんたれい」同人

『MITASASA』第1号、相互評

歌集『もうちょっと生きる』の三田三郎さんと発行したネットプリント『MITASASA』第1号、思っていたよりもはるかに多くの方々にお読みいただき、大変嬉しく思っております。配信も今週日曜日までとなりましたので、三田さんとの相互評をこのブログで公開します。お読みいただけますと幸いです。

 

飼い慣らすほかなく言葉は胸に棲む水鳥(水の夢ばかり見る)/笹川諒

 

言葉はすぐに暴れるから、使わずに済むのだったらそれに越したことはないのだが、生活するためにはなかなかそうもいかない。だとすれば、飼い慣らす以外に選択肢はないではないか。それこそペットには向かない水鳥を飼い慣らすように。だが一方で、夢に見るのはいつも水鳥ではなく水だ。決して暴れることなく、なされるがままになっている水だ。言葉を飼い慣らした後も、ただ悠然と存在する水に表象される、言葉のない世界への逆説的な憧憬が、どうしても頭から離れないのだ。(蛇足を承知で付言すれば、隅々にまで気を配って作られたこの歌は、それ自体が言葉の飼い慣らし方をパフォーマティブに示すものとなっている。)<三田>

 

幸も不幸も他人に見せるものでなくツイッターには床の画像を/三田三郎

 

SNSには感情が過度にあふれている。時としてそれは、日常の対面でのコミュニケーションで表出される感情のレベルを、はるかに超える。床の画像をツイッターにあげるという主体の行為は、そういったSNSというツールの特性への反抗であり警鐘だととれる。しかし、この歌はそれだけの歌ではない。どこまでもフラットな床を見つめながら、色々な物事(たとえば幸福や不幸について)を静かに思索する主体にとって、その瞬間の世界を表象するものを一つ挙げろと言われたならば、眼前の平たく無機質な「床」でしかなく、決してそれ以上でもそれ以下でもないのだ。このツイートの画像は、ギャグなんかではなくて、どこまでも本気の「床」なのだと思う。<笹川>