「短歌人」の橘夏生さんの第一歌集、『天然の美』。雁書館、1992年。
羅(うすもの)をまとへばつねに身になじむわたくしといふ存在はこれ
なだらかな雲の波なすアルペジオわがために来し夏ぞとおもふ
性愛なぞに誰が惹かれる湯の底でわがくるぶしがうすく光れば
悦楽の悦といふ語に兄といふ文字みつけたる夏のいもうと
わが身につけられしごといつしか馴染めり地下道のコンクリートの創(きず)
何事か崩壊しつつあるらしきターン繰り返す午後のスウィマー
かくて美貌の夏は来たれりまはだかの孔雀を愛でるタマラ・ド・レンピッカ
人形にも猫にも自らの名をつける麗はしき幽閉の王子は
わが裡に破船の絵ありときをりは腐蝕すすめる筆をくはふる
詩歌なべてわれの頬殴つ鋭さに欠けて今宵みるルドンの<眼>
歌集の前半は、主体像がはっきり立ち上がってくるような歌が多い。後半では、栞の井辻朱美さんの言葉を借りると、「固有名詞一個を石としてはめこんだ指輪のようにきらびやかな歌」が中心になってくる。