Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

別バージョンのあとがき

 セント・ポール大聖堂ウエストミンスター大聖堂、少し足を伸ばしてカンタベリー大聖堂。そして美術館にも。テート・モダン、テート・ブリテン、ナショナル・ギャラリー、等々。毎日ひたすら大聖堂と美術館に通った夏のことは、よく思い出す。

 誰でも一つか二つくらいは様々な理由で特別に愛着があって、もはや前世からの因縁でもあるのでは、というくらい少し不思議な距離感の中で抱えもっている(単語レベルでの)言葉というのがあるのではないだろうか。僕は「聖歌隊」という言葉と、そのような関係を取り結んでいる。そのきっかけは学生時代のこと。大学院の修士一年の夏休み、二週間ちょっとロンドンに滞在した。その年の六月に、大学一年の四月から親しくしていた同じ学部(文学部)の友人が急逝するというできごとがあった。彼はそのとき23歳だったと思うから、それはもう夭折としか言いようがなくて、そしてこれは敢えて言うべきことではないと思いつつも、そのひとはとてもうつくしいひとだった、という事実が、このできごとの衝撃を少なからず強めていたことは、今思い返しながらはっきりとわかる。

 当時、大学院に入ったばかりで、これから文学の研究を真剣にやっていかなければと思っていた矢先、古今東西の文学作品に匹敵するような、というよりむしろ、実感としてはそれらを凌駕するほどの現実に直面してしまった僕は、とても混乱した。漠然とした例にはなるけれど、ヘッセ『車輪の下』、福永武彦『草の花』、萩尾望都トーマの心臓』とか、そのあたりの作品に書かれていることのエッセンスをまさに孕みつつ、現実が目の前で次々と、そして過度なくらい象徴的に展開していく感じがあったのを覚えている。とりあえず、現実からできるだけ遠くに一旦逃げなければ、というわかりやすい防衛機制にしたがい、研究の一環ということにして、ロンドンに発つことにした。大学生協で可能な限り早い日程のチケットを用意してもらった。

 ロンドンではホームステイをして、午前中は語学のレッスンに通った。午後からはフリーだったから、大聖堂や美術館に行って、何をするでもなく、ひたすら放心していた。ある日、とある大聖堂の椅子に何時間もぼんやりと座って、跪いて祈る人々を遠目に眺めていたことがあった。もし自分が祈るにしても、この場所での祈りの作法も、何を祈ればいいのかも、どの神様に対して祈ればいいのかもわからなかった。聖歌隊の歌声を初めて生で聴いたのは、そのときだった。どうやらその大聖堂では、決められた時間に聖歌隊の歌の披露が行われているらしかった。子どもたちの歌声が自分の中にあまりにも自然に流れこんできて、直感的に、この歌声は水だと思った。その体験を境に、止まっていた色んなものが、なぜだか少しずつ動きはじめていったように思う。

 

 優しさは傷つきやすさでもあると気付いて、ずっと水の聖歌隊/笹川諒

 

 この短歌は『短歌人』に月例作品として掲載してもらい、高良俊礼さんからブログを通して次のような評をいただいた。

 

水の聖歌隊、この美しい言葉に出会う前に、この人の内なる言葉はどんな場面を泳いできたのか、そしてどれだけ傷付いてきたのだろうかと思わせるし、そう思ったら何だか胸が切なく締め付けられます。(短歌人会員秀歌2016年9月号 | アンダーカレント ~高良俊礼のブログ

 

 さっき書いた一連の体験に関わる具体的なことは、歌の中には何ひとつ書いていない(何なら、ロンドンでの体験を忠実に詠った歌というわけでもない)。それでも、言葉をひとつひとつ選択し、短歌という形の文字列にして読み手に手渡したときに、何か本質的なことが伝わることがあるということを、この評を読んで知ることになった。詩の言葉の持つ力を、もっと信じてみようと思った。

 

 

 

 そんなこんなで、第一歌集のタイトルは『水の聖歌隊』に決めました。歌集のあとがきにはあまり自分のことは書きたくなくて、でも、タイトルを決める上でその理由を一度言語化しておこうと思って書いていたら意外と長文になってしまったので、ブログに載せてみました。歌集、よろしくお願いします……!