Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「ぱんたれい」同人

5月9日の日記

 小説のいちばん始めの会話文みたいに君の声が響いた

 (鈴掛真『好きと言えたらよかったのに』)

 この歌を読むと、自分が人生で初めて読んだ小説の、最初に出てくる会話文のことをどうしても考えてしまう(歌自体はそういうことは言っていなくて、単純に一冊の小説の~という話なのだけど)。国語の教科書に載っているものを除くと、僕が初めて意識的に読んだといえる小説は、秋田禎信さんの「魔術士オーフェン」シリーズ(富士見ファンタジア文庫)だ。オーフェンに限らず、当時(中学一年生頃)はライトノベルをよく読んでいて、ラノベ独特の、やや芝居がかったというか、人間同士の自然な会話としては若干ぎこちなさのある会話文に、不思議な印象を抱いていた。

 オーフェンシリーズはとても楽しく読んでいたから別のラノベ作品の話だけど、作品のクオリティによっては、注意して読み進めないと誰から誰への発話なのかわからないということが時々あった。いや、当時の読解力の低さのせいもあるかもしれないけど、どれだけ前後の文脈や登場人物たちの口調などのあらゆる要素を吟味しても、誰の発話が判定が不可能なことさえあった。

 ただ妙なことに、ラノベの不思議な会話文、特に<誰から誰へ向けられているのかわからない発話> に対して、僕はうっすらとした魅力を感じていた。そんなものはそれまでの日常生活では聞いたことも読んだこともなかったからだ。発話者も聞き手も靄の中に包まれた<会話>は、現実世界から遊離した言葉の世界にしか存在しない。

 透明なせかいのまなこ疲れたら芽をつみなさい わたしのでいい

 (井上法子『永遠でないほうの火』)

 眼裏(まなうら)に散らす暗号 うつくしい日にこそふかく眠るべきだよ

 それから何年も経って短歌を始めるわけだけど、口語短歌によく見られる呼びかけの口調に特に惹かれた。これこそまさに、さっきの<誰から誰へ向けられているのかわからない発話> ではないだろうか。作中主体と言われる不明瞭な発話者による、不特定の(もしくは特定の一人が作者には想定されていたとしても、読み手には一切わからない)誰かへの呼びかけは、どうしてこんなに優しく感じられるのだろう。

 ラノベ作品に登場する会話文のバグ(?)はいわば事故として発生したものだけど、自分の短歌の好みと、一本の細い線でつながっているような気がしてならない。