「短歌人」の小島熱子さんの第五歌集、『ポストの影』。砂子屋書房、2019年。
ゆずすだちかぼすひきつれ冬が来るついでにうつつの凸凹も連れ
ゆず、すだち、かぼすといった柑橘類の果実の皮の凸凹から、現実に流れる時間の凸凹を感じ取る。どこか内省的な気分になりやすい冬という季節の質感も伝わってくる。歌集のあとがきの作者のことばに「変化のはげしい現実社会の中で、日常の些末を詠みながら、その些末が邃いところに繋がってくれることを願ってはいるのだが……。」という一文があるが、日常を丁寧に見つめることで、時間・空間のかすかな凸凹へと手を伸ばそうとする作者の姿勢がよく表れている歌だと感じた。
日本中に夜がころがるぎんなんも猫もわたしも黙したるいま
不思議な歌。おそらくテーブルの上かどこかで「ぎんなん」がコロコロころがっていて、そのぎんなんが静止したときに、たまたま「猫」と「わたし」は目を見合わせ、その瞬間、ここではないどこかへふっと意識が及んだ、という感じだろうか。ぎんなんの「ころがる」という運動は、そのまま「夜」へと引き継がれていったのだ。それぞれ植物、動物、人間である三者が動きを止めた刹那に、絶えず流転する日本中の夜へと思いを巡らせる、歌のスケールの大きさが印象に残る。
またいつかと言ひてわかれぬ円卓のグラスに老酒すこし残して
長年会っていなかった同級生と久々の再会をした、という場面の歌。グラスに少し残った老酒は、次にもう一度会える可能性の少なさを暗示しているようでもあり、「老」という文字の効果で、お互いに残されているこれからの晩年の生を象徴しているようにも思われる。また、ぐるぐると回る中華料理屋の「円卓」という道具立ても、出会いと別れ、ひいては輪廻転生のような連想を誘引し、一見シンプルなようでとても味わい深い歌。
ポストの影あはく伸びたるコンビニまへ春の愁ひが溜まりてゐたり
過ぎてゆく時間のなかの昼食に黄身もりあがる玉子かけごはん
冬のひぐれの机上にありし封筒の白の清冽 それからのこと
雁皮紙に散らす青墨の文字かすれ外はきのふとおなじゆふぐれ
あるときは石は祈りてをるならむよわきひかりの差す道の端