Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

『MITASASA』第8号、相互評

MITASASA第8号の相互評を公開します。今回はメンバーの三田三郎・笹川諒に加え、御殿山みなみさんをゲストにお迎えしています。ネプリをもう読まれた方はもちろん、まだの方でもお楽しみいただける内容になっているかと思います!ネプリの配信は8月13日火曜日までですので、お忘れなく。

 

「水際」(詩)/笹川諒

 

ポエジーの源泉とは何か。私のような者はどうしても、「言葉同士のカップリングの意外性」などといった安直な結論に飛びついてしまう。だが、少なくとも笹川さんは、ポエジーの源泉を「言葉同士のカップリングの意外性」のみに求めてはいないようだ。むしろ笹川さんは、分かりやすい意外性というものに対しては、警戒して距離を置いているようにさえ思える。そして、言葉のカップリングの自然さ/意外さという二項対立そのものを解体し、メビウスの輪を辿るようにして、この世界そのものでなければ、全くの異世界でもない、第三の世界としか言いようのない不思議な次元を提示する。笹川さんの詩が纏う静謐な優しさは、そうしたアクロバットを飄々とやってのけることによって、ようやく獲得されるものなのだ。<三田>

 

窓口の謝り慣れた職員に僕も負けじと謝り倒す/三田三郎

 

じわじわ来てしまう歌だ。お手数おかけしてすみませんという職員に対して、いえいえそんなことないですこちらこそ気を使わせてしまってすみません、みたいな状況だろうか。表現が面白いんだけど、その背景には謝罪に本来ある「パワー」と「プライド」がかかわっている気がする。

 

パワー。謝罪にはパワーが要る。世のビジネスマンに、電話で謝りたくないからメールで済ませる人の何人いることか(僕を含めて)。謝るからにはこちらが悪い。すると謝ったら怒られるかもしれない。ここを乗り切る力こそパワーである。

 

プライド。謝罪にはこれも必要だと思う。謝罪ってネガティブなようで前向きなのだ。起こっていることがネガティブなだけで、それを解決しようとする動きだから。やらされ謝罪にせよ心からの謝罪にせよ、それは自己を前に進める行為ではある。そこに潜むプライド。

 

さて歌の景だけれど、なんだか職員、そんなに悪いことしてない気もする。だって主体も謝り倒してるし。不便をかけたのかもしれない。でもしょうがなさそうな感じ。きっと職員は日常業務の中で、こういうことが起こりまくっているのだろう。それを簡単に解決させるための謝罪。

 

主体もそれを感じているから、謝り慣れたと記述する。この謝罪にはパワーがあんまりない。乗り切るというか、先手を打っているような。プライドがある感じもない。つまりは本質的に必要でない。

 

そこにたいして主体が張り合っている、気がしたのだ。「負けじ」の勝ち負けの根拠ってどこかって、そういうパワーとプライドの部分なんじゃないかな。しかしそれは謝罪対象がどこにもなくて、なんだかずれている。目的はない、けれど本質をとらえた謝罪の空回りに笑ってしまった。<御殿山>

 

星空に隠されている扉なら、られないほうの手でノックして/御殿山みなみ

 

この歌で真っ先に目を引くのは「られないほうの手」だと思う。ひょっとしたら、誤植を疑う人もいるかもしれない。ただこれは誤植ではなく、「~られる」というのはここでは受け身の助動詞のことだろう。日常生活、特に仕事に関しては「~られる(~れる)」ことばかりだ。朝、遅刻しないように早起きさせられ、満員電車に乗らされて職場に着くと、様々な仕事をやらされ、休憩や食事も決まった時間に取らされる。仕事が終わっても、飲み会に参加させられ、お酒を飲まされる……。気が付くと、何もかもが受動的な生活に陥ってしまい、能動的な生き方をすっかり忘れてしまう。この歌は本来誰もが持っているはずの「られないほうの手」による「ノック」、つまり能動的な選択によって掴みとってゆく人生のあり方に、スポットを当てている。<笹川>

 

 

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『MITASASA』第7号、相互評 - Ryo Sasagawa's Blog

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