Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

『MITASASA』第5号、相互評

三田三郎さん、ゲストの水沼朔太郎さんと発行したネットプリント『MITASASA』第5号の相互評を公開します。ネプリの配信は4月12日金曜日までとなっておりますので、まだの方はぜひお読みいただけますと幸いです!

 

駅前に成長痛を響かせて養生された塔がまた伸びる/三田三郎

 

「いざ出勤」七首中の一首。他の歌には一社会人の出勤が読み取れる単語が散りばめられているが、この歌にはそういった単語がない。強いて読めば〈成長痛〉が反社会人的な意味合いを持つが、その反社会人的な言葉が〈塔〉を成長させるという。東京タワーや通天閣を見ればわかるように〈塔〉は成長を加速させるものだ。しかしながら、この歌では〈成長痛〉が〈塔〉の栄養分となる。〈塔〉が社会ではなくわたしを反映している。そこにこの歌のおもしろさがある。<水沼>

 

この星の何割ほどを、いや、きっと一割も知らずに蜜柑剥く/笹川諒

 

「この星の何割ほどを」と言ったところで、作中主体はその問い方自体の不遜さに気付く。そしてその後、「きっと一割も知らずに蜜柑剥く」。これは反省か開き直りか、いずれにしても実にキュートな態度である。最後に行為を置くことで作中主体を俯瞰するアングルに切り替わる展開も良い。ただ、この歌の魅力というか凄みはもっと先にある。どうも作中主体は、「蜜柑」を「剥く」ことによって、つい先程まで自らも前提していたのとは別の方法で、「この星」を知ることに挑もうとしているように思えてならないのだ。それは不遜でも反省でも開き直りでもなく、全く以て真摯でマジな態度とアプローチで「この星」を知ろうとする挑戦である。<三田>

 

安田大サーカスみたいに大人気 永井祐たのしく暮らしてる?/水沼朔太郎

 

一首評ではなく連作評になることをご了承いただきたい。というのも今回の水沼の連作は、もちろん一首単位で見ても普通に秀歌はあって(個人的には特に五、七、十一首目等)、それに絞って述べても良いのだが、そのような言及の仕方は、どうも作者がこの連作に込めた意図に反するような気がするのだ。

 

夢の中でもぼくは眠ろうこれが噂の(これが噂の)ねむりの二重螺旋構造/水沼朔太郎

どう たのしい OLは 伊藤園の自販機にスパイラル状の夜/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(以下、永井の歌は全てこの歌集から引用)

 

上の今回の連作一首目の歌と、下の永井の歌の関連性はツイッターでQ短歌会の森さんが指摘されていて、なるほどと思った。「これが噂の」が、永井の歌に書かれている例のやつ、ということを含意しているのだろうか。連作はこの一首から始まり、永井祐的な要素を含んだ歌が続いてゆく。

 

10分前に仕事着になる出発の時間になるまでじっとしている/水沼朔太郎

30分待つハメになる 着メロはバスの発車の音にまぎれた/永井祐

 

連作二首目。具体的な数字への妙なこだわり、また数字を全て全角で表記するなど、永井の歌の特徴が見られる。まだ今回のネプリを出力していない読者の方もいると思うので、歌自体を引くのは避けるが、四、六、七、八首目も時間の話題が出てくる(連作のタイトルが「10日と2時間」なので、当然と言えば当然だが)。

 

ぼんやりとしていて5分むだにした 右左から光が入る/永井祐

 

永井はとにかく時間に細かく、その作品世界においても大きな主題となっている。その「時間」を、今回水沼は連作の主題として選択しているのだ。

 

終着駅まで降りないことを良いことに一駅ごとに見る混み具合/水沼朔太郎

帰りの電車二駅分をおしゃべりし次の日ふたりとも風邪を引く/永井祐

 

連作十一首目。一駅一駅を意識するミクロな視点、そしてその観察から導かれるきわめてドライな抒情、という点ではこの二首は共通していると言える(全体の歌意は全然違うけれど)。そしてそれが言うなれば、永井の歌の大きな特徴でもある。

 

俺だって駅のホームでにやにやと触られたことありますよ 0円/水沼朔太郎『ベランダでオセロ』

パーマでもかけないとやってらんないよみたいのもありますよ 1円/永井祐

 

さて、ここまで水沼の今回の連作にいかに永井祐的な特徴が見られるかを述べてきたが、それは決して無自覚的なものではないということが、上に挙げた合同歌集『ベランダでオセロ』の中の「おでこの面積」所収の歌を見ればすぐに分かるだろう。平岡直子が「日々のクオリア」(2018年12月7日掲載分、https://sunagoya.com/tanka/?p=19593)で、「若手歌人の歌を追っていて、いいな、おもしろいな、と思っていた歌人が気づいたら永井祐っぽくなりすぎてる現象がときどきある。別バージョンでは大森静佳っぽくなりすぎてる現象もときどきある。このふたりの似られかたはすごいと思う」と述べているように、現在、永井祐の作風は数多くの若手歌人によって(多くは無意識のうちに)模倣されている。連作最後にあたる十二首目<安田大サーカスみたいに大人気 永井祐たのしく暮らしてる?>の「大人気」はそのような状況をある意味で揶揄しているのだろう。「たのしく暮らしてる?」はもちろん、永井の第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』に由来するわけだが、「そのような前述の状況を、永井さんどう思いますか?」という水沼から永井への、さらには(主に若手の)歌人全体への問いかけなのである。

 

そのような異議申し立てを、テーマ設定を含めて、きわめて意識的に永井祐の手法を盛り込みながら今回の連作を水沼が編んだ、という視点から今回の「10日と2時間」を読むと、より面白く読めるのではないだろうか。最後に、十二首目の「安田大サーカスみたいに」だが、これは「一発屋」という含みがあるのかもしれない。もちろん、安田大サーカス一発屋芸人であるかどうかという問題、また、永井祐はこれだけ影響力を持っているのに一発屋とはとても言えないのではという問題もあるので、そこまで強い意味ではなく、第一歌集が刊行されて評判になってから相当期間経っているけれど、第二歌集はまだ出ないの?というようなニュアンスなのだろう。

 

永井祐の第二歌集のタイトルは『57577』だと思う/水沼朔太郎『ベランダでオセロ』

<笹川>