Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

『MITASASA』第3号、一首評

 

三田三郎さん、ゲストの有村桔梗さんと発行したネットプリント『MITASASA』第3号、2月25日月曜日までの配信です。ぜひお読みいただけますと幸いです。すでに出力していただいた方は有難うございます!

 

さて、恒例の相互一首評が準備できたので公開します。よろしければこちらもご覧ください!

 

「人間は辛いときこそ頑張れる」などと意味不明な供述を/三田三郎

 

上の句、下の句とも日常生活でたびたび耳にする言い回しですね。よく考えれば根拠のない、根性論的な考えであるところの「人間は~」の発話者は別にいて、その言い分に対して「意味不明」と感じている人なのでしょう。発話者はその言葉によって、どこかその人を納得させようとしているように思われる雰囲気もあり、このフォーマットのシニカルさがよく効いている一首だと思いました。<有村>

 

半分はせかいの涙 過ぎるべきところはちゃんと過ぎたのだから/笹川諒

 

この歌における語り手は、世界と対峙して闘うわけではなく、かといって自分の周辺領域に閉じ籠もるわけでもない。どこからか用意された「過ぎるべきところ」を安直な冷笑的態度で否定するのではなく、そこを「ちゃんと過ぎた」ことを自らの矜持とすることによって、決して開き直りではない誠実な態度で、自己と世界とが折り合う地点を模索する。そして最終的に、仲間とは言えないけれども敵とも言えない、まさに「せかい」と表記するのが相応しい、腐れ縁の幼馴染のような関係で結ばれた世界との、どこか照れくさくも決然とした和解が、「涙」の共有のうちに成就するのである。<三田>

 

感情の飛距離を思ふ 雪の上(へ)にあかき花びら交じりたる朝/有村桔梗

 

花びらはどこから来たのだろう。「飛距離を思ふ」と言っているので、目の前の視界に赤い花はなく、どこか遠いところから飛んできたのではないか。小さく脆い花びらでさえ、思いがけないくらい遠くまで飛んでいくこともある。「感情」としか書かれていないけれど、「あかき花びら」は誰かを想う恋心を連想させる。自分の気持ちは相手には伝わってはいないと思い込んでいたけれど、遠くから来た赤い花びらを見て、一瞬、もしかしたら自分の想いは伝わっている(いた)のかもしれないと思う。けれどもすぐに、やっぱりそんなはずなんてない、と自分で自分を諫めるのだ。そういう心情の揺らぎが、「感情の飛距離を思ふ」という表現からは感じられる。<笹川>