Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

大橋弘『used』

大橋弘さんの第二歌集『used』を読みました。普段短歌をやっていない人が読んでも面白く、短歌をガッツリやっている人にとっても新鮮な、素敵な歌集です。

 

イヤ。イヤですこんな逆さまの地上を叩く夏の陽射しは

 

夏の陽射しが暑い、イヤだ、と思っていたら、初句の三音欠落の間に、主体の意識は自分を今まさに苦しめている陽射しの方へとスライドする。陽射しの立場からしても、逆さまの地上を叩くのはどうやら気が進まないらしい。視点の切り替えがとても面白い。それにしても陽射しは、陽射しの側から見た地上が実際の逆さまであることを、なぜ知っているのだろう……。

 

眠くなる薬ありますまた今日も結果を出せと言われるきみに

 

結果を出そうとするなら、栄養ドリンクやレッドブルを飲んでかじりつくように頑張らければならないところだ。本来なら、逆に眠気を覚ますための薬が必要な場面。そんな時どこからともなく、「眠くなる薬あります」という怪しげな声が。「薬」と「あります」の間に助詞が省略されていることで片言な感じが出て、怪しさが増幅されている。

 

今日ひとひハイビスカスのお茶となりネクタイ締めて外回りした

 

大橋さんの真骨頂、変身の歌の一つ。もちろん実際にハイビスカスのお茶になったのではなく、まるでハイビスカスのお茶になった気分で、という意味だろう。こういった歌の場合、「ハイビスカスのお茶」が他の語と入れ替え可能か、ということが歌会では議論になることが多いけれど、ここでの「ハイビスカスのお茶」の喩は絶妙だ。ハイビスカスの垢抜けた、すこしよそ行きのイメージは「ネクタイ締めて外回り」にフィットし、訪問先へ行くごとに「お茶」ばかり飲んでいた一日だったのではいかと、想像が膨らむ。

 

片言で語りかけるよ誰のものかもうわからない置き傘たちが

 

何とも不気味な歌。置き忘れられてからしばらくが経ち、持ち主はもう誰だか分からない置き傘たち。このままでは、いつか適当なタイミングで処分される運命にある。傘の立場からすると、誰かに持ち帰って使ってもらわない限り、傘としての本分を全うすることができないのだ。「片言」がとても切実。

 

とらわれているけどいがいにじゆうなのひらひら一首かきつけながら

 

変幻自在な口語で、まるで言葉そのものと戯れているかのような大橋さんの歌には、難解なものも多い。この歌はそのような不思議な歌群を読み解く上でのヒントになる気がする。大橋さんの歌における現実の徹底した異化は、日常に「とらわれている」ことから脱出するための糸口であり、その想像の世界を「ひらひら」と自由に飛翔するための翼が、短歌という器なのかもしれない。

 

あ、昔。海だったのねこの町は道理で猫が振り向くはずよ

 

枝分かれしてゆく不安そのすべてに軽い帽子を被せましょうよ

 

湯冷めする。ちょいと鷗になるための一分二分を惜しむ男は

 

井村屋のあんまん様も否定せりいつか短歌が滅びることを

 

冬去らず。みんながみんなヒヨコならいよいよ冬は去ろうとしない

used―大橋弘歌集

used―大橋弘歌集