Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

兵庫ユカ『七月の心臓』

兵庫ユカさんの短歌は『桜前線開架宣言』で印象に残っていて、いつか読みたいなと思っていた。先日ふと歌集の入手方法を調べてみると、販売は終了、国内でも所蔵している図書館が一館しかない(国立国会図書館にもない)という状況だったので、急いで地元の図書館で取り寄せを申し込んだ。

 

※マニアックな話になるけれど、一館しか所蔵がないということはその図書館で除籍されてしまうと(国立国会図書館のように資料の保存を主目的としない図書館の場合、貸出回数が少ない本は廃棄される場合がある)、もう後は個人的に入手する方法を探すしかなくなってしまう。もし地元の図書館を通じてそういう資料を取り寄せて利用する場合、その本の利用実績にもなるので、その本自体がその後除籍されにくくなるというメリットもある。ちなみに、現在『七月の心臓』の所蔵が確認できたのは日本大学文理学部図書館のみ。「歌葉」の歌集は国立国会図書館に入っていないものが多いので、図書館を通じた入手が難しい傾向にある。

CiNii 図書 - 七月の心臓

 

 

・明日風をつくる機械をオフにする 必要ならば求めるだろう

 

風は何の比喩だろう。無意識のうちに何かに流されてしまっている自分を、一旦フラットな位置からやり直したいという、宣言の歌だと思った。兵庫さんの代表歌<でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかはじぶんで決める>にも通じるものを感じる。

 

 

・一羽ずつ立つ白い鳥真っ白い鳥せかいいちさみしい点呼

 

幻想的で、かつ、世界の終わりのような荒涼とした場面が思い浮かぶ。三句目と四句目の「真っ白い鳥」の句跨がりが、声に出すと「真っ白い」と「鳥」の間に微妙なポーズを生んで、さみしさがより増幅される気がする。

 

 

・死んだ海 わたしが揺らす目薬の わたしも死んだ海なのだろう

 

目薬の液体を目に浮かべたまま、揺らしてみる。そしてそれと同時に、自分の体全身も実は水を含んで揺れているのだということに気付く。その思考というか認知のプロセスが、文体からリアルに伝わってくる歌。

 

 

・飛び散った鱗を流すキッチンにだんだらだんと満ちる水音

 

水がステンレスのシンクに落ちるときの音のオノマトペ、「だんだらだん」。すごい。調理された魚の残骸である鱗を水に流すという行為が、例えば葬送のような、大袈裟で儀式的なニュアンスを帯びてくる。

 

  

・友だちであることもただ永遠に巻いてく蔓のようでさみしい

 

友人関係は恋愛とは違って、交際や結婚という節目やゴールがない。そういう視点から考えると、花を咲かせたりすることもなく、ただ永遠に蔦を巻いていくようなものだとも言えるのかもしれない。主体の客観的で冷めた把握が印象に残った。

 

他にも好きな歌を。

 

・オルガンが売られたあとの教会に春は溜まったままなのだろう

 

・必然性を問うたびに葉は落ちてゆくきみは正しいさむいさむい木

 

・ぼそぼそと遠い花火をあるはずのないはずのはねはねさきで聴く

 

・正しいね正しいねってそれぞれの地図を広げて見ているふたり

 

・でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかは自分で決める

 

 

※『七月の心臓』収録の短歌は、<兵庫ユカ『七月の心臓』bot>というアカウントからも読むことができるようです。@shichigatsuno