佐藤弓生さんの歌集を読むのは、『モーヴ色のあめふる』以来、二冊目。色々ときっかけがあって(twitterでの佐藤さんのツイートに感銘を受けた、最近現代詩への興味が更に増した、等)、佐藤弓生ワールド再チャレンジ、といった感じです。付箋を貼りまくりながら読んだのですが、その中の何首かについて書きます。
・ふたしかな星座のようにきみがいる団地を抱いてうつくしい街
「うつくしい」という単語を短歌で使うのはなかなか難しいけれど、この歌の「うつくしい」はすごく自然。下の句の音のリズム感が、「うつくしい」という単語が持つある種の押しつけがましさを取り除いてくれているのだと思う。音への(時に過剰なまでの)配慮は、佐藤さんの短歌の大きな特徴。
・さくらばなほろほろほろぶ男たちスカートはいて駆けておいでよ
佐藤さんの短歌は、両性具有的な美を指向した歌が多いのも一つの特徴だと言える。スカートの色はさくら色なのだろう。
・感情の機械に生まれ黙黙ときみもわたしもゆきのまちゆく
全く異なる思考・性格であるはずの二人の人間が、お互いに「黙」という共通の感情を選択しているという状況での、きみもわたしも同じ機械だったんだ、という奇妙な連帯感。
・ひとところ模様のゆがみ見やるとき絨毯もまた遺伝子の船
ミクロな視点から一気に宇宙的な規模の話に飛躍する、ダイナミックさ。普段は意識していないけれど、絨毯に使われる羊などの毛一本一本にはもちろんDNAが含まれている。「船」という単語から、何となくノアの方舟も連想される。
・消防車救急車鳴きかわす夜の広さよ ひとつ氷を食めば
誰にも真似できないような歌だと思う。消防車や救急車が走り回っているのは自分の家の外の出来事であり、自分とはある意味関係の薄い、外部の世界の話だと主体は捉えている。そこに氷を食べることで、更にもう一段階遠い位相へと主体は移動するのである。その遠さのイメージは、氷を食べることによる体温の低下や氷の固さによってもたらされる。
・水に身をふかくさしこむよろこびのふとにんげんに似ているわたし
水に体を浸したときの身体感覚のあまりの素直さに、自分の中にこんなにも人間的、動物的な感覚が眠っていたのかと驚く。あまりの驚きに、本来は(もちろん)人間であるはずの主体が、思わず人間に似ていると感じてしまうという逆転が生じている。感じたことが論理や理性によって言語化される前の、「未言語化言語」とでもいうべきものを忠実にすくい取っている。
「未言語化言語」にはきっと相当する専門的な用語があると思うので、また勉強しておきます。一番好きな歌は、<ふゆぞらふかく咬みあう枝のあらわにもぼくらはうつくしきコンポジション>でした。敢えて語るのは避けようと思いますが、音への配慮、宇宙的視座、両性具有的な美意識等の佐藤弓生ワールドの本質を備えた秀歌だと思います。
眼鏡屋は夕ぐれのため―佐藤弓生歌集 (21世紀歌人シリーズ)
- 作者: 佐藤弓生
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/11
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