今日は『短歌研究』の2018年2月号、特集「あたらしい相聞歌をさがして」に掲載されている、鈴掛真さんの連作「海より深い」を紹介します。
鈴掛さんの短歌は、
会うよりも会わないままでいるほうが好きになるのはどうしてだろう
小説のいちばん始めの会話文みたいに君の声が響いた
僕だけの景色じゃないと知っている君の背中に触れる自転車
出逢うなら隣のクラスの体育だけいっしょのあの子でいればよかった
最後まで言えないままの「好きだよ」の数だけ増えた学級写真
ー鈴掛真『好きと言えたらよかったのに。』(大和出版、2012年)より
のように、読み手の心の中にストンと落ちて、せつない、嬉しい、好き、みたいな具体的な感情を強く呼び起こす。シンプルな語彙を使いながらも、言葉の運び方がとても慎重で、安心して寄りかかれるような優しさがある。
今回の「海より深い」でも、
手袋の上からだからまだ君と手を繋いではいないはずだよ
といった歌に、先ほど述べた鈴掛作品の強みは十分に発揮されている。では、次のような歌はどうだろう。
マリアナの海より深い年下の男に抱かれ落ちる眠りは
作中主体は年下の男性と恋愛関係にある。「マリアナの海」とは、世界一深いとされるマリアナ海溝のことだろう。この歌をこれまで挙げてきた歌と同じように素直に読むと、たしかに、「年下の男」という語がイメージさせるある種の幼さと、マリアナ海溝の深さがコントラストを成した良い歌だけれど、「マリアナの海」という表現にリアリティが欠けているのでは、と思う人もいるかもしれない(深さを歌で表現するときに、世界で一番深いものを喩として使うなんて短絡的過ぎる、とか)。
しかし、作者はリアリティの欠如を理解した上で、あえて「マリアナの海」という表現を選んでいるのである。年下の恋人に抱かれて落ちる眠りは深い。すごく深いはずなのに、その深さはあくまで現実感の伴わない深さなのだ。「マリアナ」という音の響きも素敵で、何度も歌を読んでいると、不思議なことに、その恋人の名前であるかのようにも思えてくる。
浅黒い高校生の首筋はトルティーヤ・チップスの匂いがする
トルティーヤと言えばメキシコ。この歌からはきらきらとした恋心などではなく、まるで山田詠実さんの小説世界のような、危うさをはらんだ欲望を覗き見ることができる。
「海より深い」は、鈴掛作品のこれまでの良さはそのままに、更なる新しい表現を探っていく意欲作と言えるのではないだろうか。鈴掛さんの短歌が今後どのように展開していくのか、目が離せない。
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先月、鈴掛さんに、月島のもんじゃ焼きに連れて行ってもらった時にお話させてもらったことを、もう一度整理してまとめてみました。「海より深い」、ぜひお読みください。