Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/「西瓜」「ぱんたれい」同人

原稿募集のお知らせ(MITASASA増刊号・『既視感製造機械』)

MITASASA増刊号(歌集を読む!編)の原稿を募集いたします!

 

今回の増刊号では、この4月に発行された大橋弘さんの第三歌集『既視感製造機械』(六花書林、2020年)の一首評企画を行います。

 

コロナの影響で、最近読んだ歌集の話を誰かとするというのもなかなか難しい状況の中、歌集の感想を大勢で共有できる機会があれば……というのが今回の企画の趣旨です。どなたでもお気軽にご投稿ください。

 

大橋弘『既視感製造機械』は、出版元の六花書林様のウェブサイト(六花書林 出版刊行案内)にて購入可能、Amazonには今のところないようです(2020/4/17現在)。

 

【MITASASA増刊号 歌集を読む!編】

 

配信方法:

ネットプリントTwitter等でのPDF公開 (2020年5月中旬頃予定)

 

募集内容:

大橋弘『既視感製造機械』から、好きな一首を選び、その歌についての200字程度の一首評(字数は、多少増減しても大丈夫です)。

※すみませんが、謝礼等はございません、ご了承ください。

 

締切:

①参加締切 2020/5/3

参加お申込みの際に、一首評をどの歌で書くかをお知らせください。希望の歌が重複した場合は、先着順にさせていただきます。

また、参加希望者があまりに多い場合は、募集を途中で締め切る場合もあります。

②原稿締切 2020/5/10

 

参加申込み・原稿の送付:

Twitterの場合→MITASASAのアカウント(@ms_yogisha)宛にDM

メールの場合→ryo.ryo.ryo514☆gmail.com (☆を@に)

 

たくさんのご投稿、お待ちしております!

 

(以下、大橋弘『既視感製造機械』より五首抜粋)

俺はどこに行こうとするの開け閉めを重ねた金庫のように無口で

いま午後の毛玉を取ってしまったらもうやることのない夏なのである

日が暮れて少し強気でいられるが天使が来たら負けてしまうよ

明け方のサーカス小屋の静けさがあるだろ俺の名刺の書体

心臓と同じ高さに夕焼けを置き、それからがみなしごだった

『MITASASA』第14号、相互評

MITASASA第14号の相互評を公開いたします。今回はメンバーの三田三郎・笹川諒に加え、暮田真名さんをゲストにお迎えしての川柳号でした!

 

自分から自分にうつる風邪もある

/三田三郎「アナザーストーリー」

 

 「風邪」について述べている句でありながら、より強い印象を受けるのは「自分から自分にうつる」という箇所だ。単純に言えば、ここには「自分が二人いる」ような気がする。ふつう風邪というのは一度引いて、治り、そしてまた引くものである。掲句のように「自分から自分に」風邪をうつしていたのでは、身体が休まる暇がない。自分が二人いることの怖さを教えてくれる句だ。<暮田>

 

金柑の中の王都を煮詰めよう

/笹川諒「釘」

 

 あの黄金色の小さな果実の中に、「王都」があるという。それを「煮詰めよう」としている。火にかけられた金柑はやがて煮崩れするだろう。王都もまた。王都が崩落する。内部の人間に転覆されるのではなく、外部から加えられる不可抗力の力によって。金柑の中に収まるミニチュアの王都を崩すことには、精巧な模型を手掴みで壊すような奇妙な恍惚も伴うだろう。そのすべてが黄金の光につつまれている。<暮田>

 

アルミホイルに包まれたままの人がいる

/暮田真名「この世のベッドルームミュージック」

 

 我々はみな母体から生まれてきたかのような気になって暮らしているけれども、誰も自らの誕生の瞬間を記憶しているわけではないのだから、実際は神秘化された空想の始点を共有しようという暗黙裡の協働に便乗しているだけなのかもしれない。人間などというものは案外、登山客が一休みする際にリュックサックから取り出す握り飯のように、どこからともなくアルミホイルに包まれてこの世に生まれてくるのかもしれない。とすれば我々は、どこかのタイミングでアルミホイルを脱ぎ捨て、その後はあたかも母体から生まれてきたかのように白々しくすまし顔を決め込み、自らの出生の真相を都合よく忘却しているのだろうか。そして、そこに突如として現れる「アルミホイルに包まれたままの人」という存在は、そうした社会の共同幻想的欺瞞を告発するトリックスターとしての役割を担いうるのではないか……。

 この句は、社会に蔓延る欺瞞を暴き出すという批評的な構えを保持しながらも、それをひとまず極限まで形式化した後に、改めてキュートでユーモラスなポエジーを充填するという、周到な手続きを踏んで作られている。乱暴な図式化であることを承知で言えば、この句は古川柳と現代川柳の止揚に成功している。そのレベルの句と対峙しているのだから、評者の私が少しばかり錯乱しているのは当然のこととしてご容赦願いたい。<三田>

 

末弟がヒヤシンスより多いです

/暮田真名「この世のベッドルームミュージック」

 

 末弟は、一番末の弟のことなので、そもそも二人以上の人物を指し示すことができない日本語だ。なので、厳密に文意をとると、この句は弟が何人いるかというような話ではなくて、末弟とヒヤシンスを比較した際に弟の方に何が「多い」のか、が省略されている句だと考えられる。省略部分を強引に補うとすれば、たとえば、水を飲む量が多い、とかになるだろう(それも変な話だけれど)。末弟とヒヤシンスを同じ土俵に引きずり出してくるところが面白い。

 しかし、読み手はこの句を初めてぱっと見せられたときに、果たしてそのように句を読むだろうか。私は初読時、何でこの人はそんなにたくさん弟がいるのかな、と一瞬思ってしまった。ヒヤシンスといえば、水栽培をしたときに球根の末端から生えてくる無数の白い根っこを思い浮かべる人も多いだろう。無意識のうちに、ヒヤシンスの根っこの本数と弟の数を頭の中で比較してしまっていた。「末弟」という一人しか指すことのできない単語と、「ヒヤシンス」と聞いて読み手がイメージする映像を巧みに利用した、言葉のイリュージョンのような句だと思う。<笹川>

俺はどこに行こうとするの開け閉めを重ねた金庫のように無口で(大橋弘)

f:id:ryo-sasa:20200416013715j:plain俺はどこに行こうとするの開け閉めを重ねた金庫のように無口で(大橋弘

 

 大橋弘さんの第三歌集、『既視感製造機械』(六花書林、2020年)より。「開け閉めを重ねた金庫のように無口」とは、いったいどういうことだろうか。金庫はとても大事なものを入れるためにあるけれど、何度も開け閉めをするうちに中のものの価値が次第に下がってしまうような感じは、何となくわかる気がする。強いていえば、友達から旅行のお土産に素敵な置物をもらったりして、そのときは宝物にしようと思っても、毎日眺めているうちにだんだんその置物への関心や愛着がなくなってしまうときのような感覚と近いと思う。「俺」は元来、何か切り札のような魅力を備えた人物だったのかもしれない。しかし今やその魅力が何らかの理由で摩耗してしまい、「無口」、つまり価値を失ってしまったのだ。

 「口」の漢字は、金庫の四角い形状を連想させる。また、金庫の固定されて動かない、重量感のある性質は、上句の「どこに行こうとするの」に対して、結局この場を動けずどこへも行くことができないかのようなイメージを付与している。巧妙に設計されたどこかコラージュのような言葉の連なりが、不思議なくらいに読み手の内側へ浸透する力を持っている。

内山晶太『窓、その他』の、好きな歌10首

「短歌人」の内山晶太さんの第一歌集、『窓、その他』。六花書林、2012年。

 

思い出よ、という感情のふくらみを大切に夜の坂道のぼる

 

観覧車、風に解体されてゆく好きとか嫌いとか春の草

 

みずからを遠ざかりたし 夜のふちを常磐線の窓の清冽

 

忘れたい 夕の鏡のまぶしさに両眼を押しあてて 忘れたい

 

自販機のひかりのなかにうつくしく煙草がならぶこのうえもなく

 

新宿に雨脚しろくメンデルとメンデルスゾーンの違いについて

 

分かり合うという幻想の絶景に胸ひらきおり桜花のごとく

 

いちにちにひとつの窓を嵌めてゆく 生をとぼしき労働として

 

あなたもいつか泣くのであろう少女期の日々の祭りのなかのあなたに

 

壊れそう でも壊れないいちまいの光のようなものを私に

窓、その他

窓、その他

  • 作者:内山晶太
  • 発売日: 2012/09/25
  • メディア: 単行本
 

ネプリ『MITASASA』第14号

ネットプリント『MITASASA』の第14号、配信開始しました!(~2020年4月14日)

今回は川柳号、ゲストは暮田真名さんです。

 

☆川柳

三田三郎「アナザーストーリー」10句

笹川諒「釘」10句

暮田真名「この世のベッドルームミュージック」10句

 

第14号ゲスト 暮田真名(くれだ・まな)さん

<プロフィール>
1997年生。第一句集『補遺』発売中。歌人の大村咲希さんと「当たり」というユニットで活動しています。
 
【出力方法】

ローソン他コンビニ→45QEQLPQQ7

A4白黒1枚、20円です。

 

どうぞよろしくお願いします。

『MITASASA』第13号、相互評

MITASASA第13号の相互評を公開いたします。今回はメンバーの三田三郎・笹川諒に加え、道券はなさんをゲストにお迎えしています。

 

踏切で立ち往生する婆さんの髪にどうしてピンクのメッシュ

/三田三郎「ハッピーシティー

 

 「婆さん」という言葉からは、主体の人懐っこい性格と、高齢女性へのざっくりとした親しみが感じられる。また、「立ち往生する」の二句八音のおおらかなリズムは、「婆さん」のゆっくりとした動作を彷彿とさせて巧みだ。このおおらかさは、まだ電車の来ていない平和な情景ゆえだろうが、踏切は本来いつ電車が来てもおかしくない危険な場所でもある。この平和と危険が同居する感じは、日常に潜む死の影を思わせて印象深い。

 下句では、三句四句の句またがりで「婆さんの/髪に」と分かれ、髪の前に一拍置かれることで、髪に注目を集めている。白髪が黄ばんで見えないように少量施す紫色の染料が変色してピンクに見えたのか、若々しい格好を本人が選んだのか……意外な髪色は読者の想像を掻き立てるとともに、おかしさや彼女の力強さ、生きる力を強く印象づけている。「髪に」から息継ぎなしで「どうして」に移り、そこから終わりまでたたみかけるようなリズムも、その力強さを後押ししている。

 情報量の過不足のなさや、景の描写から砕けた口調の独白への繋ぎ方など、細かいところまで意識が行き届いて、洗練された歌という印象だった。<道券>

 

風邪引きの体には鐘が吊されるゆえに幼い夕暮れを呼ぶ

/笹川諒「向こう岸」

 

 鐘は鳴るものだが、ほとんどの時間は鳴らずに沈黙している。こういった鐘の性質、鳴る可能性を内包しつつ静寂のなかにあるという鐘の二面性は、主体が内包する心の葛藤を思わせる。「吊される」という受身にも、主体にとっての鐘の非操作性、不如意の感じがよく表れている。また、風邪で体が弱って気弱になり感情の制御がつかなくなる感じや、鐘の重さと体調不良ゆえの体の重さといったイメージのゆるい繋がりが、「風邪」から「鐘」への飛躍を無理なく成功させている。上句は特にカ音が多用されて歯切れがいいが、どこか間延びしたような二句八音のリズムでうまく緩和されているのもいい。

 三句四句の句またがりのぎこちないリズムが力んだ感じを生むこともあって、「ゆえに」はやや強引に因果関係を結んでいるように思える。しかし、幼い頃風邪で学校を休んで一人で家に寝ていると、いつのまにか夕暮れになっていた……そんな連想を喚起する「風邪」や「幼い」、「夕暮れ」といったモチーフ選びの効果で、ここも無理なくまとまっている。

 夕暮れを「呼ぶ」のは主体だろうが、幼い頃の甘い郷愁に自ら身を委ねる陶酔感が淡く出ていて、それが一首全体の印象を決定づけて魅力的だった。<道券>

 

中指とひとさし指で前髪を挟むあなたの眩しげな顔

/道券はな「チェルシー

 

 「中指とひとさし指で前髪を挟む」のは、「あなた」の癖なのだろうか。前髪を整えたいのか、単に手癖なのかわからないけれど、「眩しげな顔」とあるので、その二本の指がふいにピースサインに見えたのだろう。ひょんなところでピースサインを発見した主体だが、先ほどの「眩しげな顔」からは、どこか「あなた」との間に一定の距離があるような印象も受ける。普段、主体に向かってピースサインをするようなことはない関柄なのかもしれない。しかし、まだ距離があるからこそ、ほんの些細な仕草ひとつをきっかけに、その人のきわめて本質的な部分を期せずして覗き見てしまったかのような、静かな高揚感もこの歌には漂っているような気がした。連作全体で見ると、二つ前の歌に「冷えた鋏」の出てくる歌があり、掲出歌のピースサイン(と、ここでは仮定して読んだが)と響きあう構造になっている。<笹川>

 

言うことの少なくなった去り際にひかりを容れてくるエレベーター

/道券はな「チェルシー

 

 いくら親密な間柄であっても、一日中会話が絶えないということはそうそうなく、解散が近づく頃にはたいてい話題も尽きてくる。解散のタイミングがあらかじめ定められていない場合、そもそも熱心に話し込んだからこそ話題が尽きたはずなのに、そのことによって、最初から会話がないケースよりもよりいっそう気まずい雰囲気が醸成され、解散のタイミングが早まってしまうといった、アイロニカルな結末が訪れたりすることもある。ただ、話題が尽きて解散するとき、決してみながみな解散したくて解散するわけではない。二人で会っていたとして、一方が、あるいは双方が、会話はなくとももっと一緒にいたいと思いつつ、暗黙の裡に解散の合意へと至ることは、往々にしてある。この歌もまさにそのケースだろう。エレベーターの中で二人は、解散が近づいてくる気配を感じ取ってしまう。そのときの「ひかり」は、寂しさを紛らわせてくれる慰めなのか、人間の儚くも美しい関係に対する祝福なのか、はたまたありがたくも鬱陶しい「余計なお世話」なのか。「容れてくる」という絶妙な言葉選びも手伝って、この歌は「ひかり」の両義的/多義的な豊かさを表現することに成功している。<三田>

ネプリ『MITASASA』第13号

ネットプリント『MITASASA』の第13号、配信開始しました!(~2020年3月30日)

今回のゲストは、未来短歌会の道券はなさんです。

 

☆短歌

三田三郎「ハッピーシティー」8首

笹川諒「向こう岸」10首

道券はな「チェルシー」10首

 

第13号ゲスト 道券はなさん

<プロフィール>
未来短歌会所属。too late同人。ごきげん創作ユニットあっぱれ!同人。奈良県
 
【出力方法】

セブンイレブン→16033275

ローソン他コンビニ→45QEQLPQQ7

A4・白黒・両面(短辺or横とじ)で、40円です。

 

どうぞよろしくお願いします。