Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

『短歌人』2019年2月号の、好きな歌10首(会員欄)

秋深く明朝体のこころもてクラリネットの音色を聴けり(冨樫由美子)

 

道路工事の脇の花壇の花のうえ上着がのっているたたまれて(浪江まき子)

 

合格も赤点もない日々のため今夜はカレーライスをつくる(葉山健介)

 

皆が皆じぶんは悪くないという顔をならべた黄菊の黄色(川村健二)

 

これはどこの枯野に落ちた芙蓉花 世界が消えゆくまでを眺むる(高良俊礼)

 

影響を受ける相手を選びながらポインセチアに金色の紐(相田奈緒

 

コピー機の光が体に悪そうで浴びようとする新入社員(空山徹平)

 

朝日さす石には石の高さありわが影もまた等しく伸びる(安野文麿)

 

冬の日に飴玉が固くなるようにあなたの隣で肩をすぼめる(髙橋小径)

 

手術中にみる夢を録画してみたい映画にして公開してやりたい(古賀たかえ)

 

※掲載ページ順です。万一誤字・脱字等ありましたら、すみません。

【寄稿】「夏と秋」マガジン第7号

秋月祐一さんとこうさき初夏さんが発行されているWebマガジン、「夏と秋」マガジンの第7号に連作8首を寄稿しました。秋月さんとこうさきさんから、ダブル連作評もいただいております!お読みいただけますと幸いです。

 

以下のリンクからご覧いただけます。楽しいコンテンツが満載ですので、バックナンバーもぜひ。

「夏と秋」マガジン 第7号|夏と秋|note

大橋弘『used』

大橋弘さんの第二歌集『used』を読みました。普段短歌をやっていない人が読んでも面白く、短歌をガッツリやっている人にとっても新鮮な、素敵な歌集です。

 

イヤ。イヤですこんな逆さまの地上を叩く夏の陽射しは

 

夏の陽射しが暑い、イヤだ、と思っていたら、初句の三音欠落の間に、主体の意識は自分を今まさに苦しめている陽射しの方へとスライドする。陽射しの立場からしても、逆さまの地上を叩くのはどうやら気が進まないらしい。視点の切り替えがとても面白い。それにしても陽射しは、陽射しの側から見た地上が実際の逆さまであることを、なぜ知っているのだろう……。

 

眠くなる薬ありますまた今日も結果を出せと言われるきみに

 

結果を出そうとするなら、栄養ドリンクやレッドブルを飲んでかじりつくように頑張らければならないところだ。本来なら、逆に眠気を覚ますための薬が必要な場面。そんな時どこからともなく、「眠くなる薬あります」という怪しげな声が。「薬」と「あります」の間に助詞が省略されていることで片言な感じが出て、怪しさが増幅されている。

 

今日ひとひハイビスカスのお茶となりネクタイ締めて外回りした

 

大橋さんの真骨頂、変身の歌の一つ。もちろん実際にハイビスカスのお茶になったのではなく、まるでハイビスカスのお茶になった気分で、という意味だろう。こういった歌の場合、「ハイビスカスのお茶」が他の語と入れ替え可能か、ということが歌会では議論になることが多いけれど、ここでの「ハイビスカスのお茶」の喩は絶妙だ。ハイビスカスの垢抜けた、すこしよそ行きのイメージは「ネクタイ締めて外回り」にフィットし、訪問先へ行くごとに「お茶」ばかり飲んでいた一日だったのではいかと、想像が膨らむ。

 

片言で語りかけるよ誰のものかもうわからない置き傘たちが

 

何とも不気味な歌。置き忘れられてからしばらくが経ち、持ち主はもう誰だか分からない置き傘たち。このままでは、いつか適当なタイミングで処分される運命にある。傘の立場からすると、誰かに持ち帰って使ってもらわない限り、傘としての本分を全うすることができないのだ。「片言」がとても切実。

 

とらわれているけどいがいにじゆうなのひらひら一首かきつけながら

 

変幻自在な口語で、まるで言葉そのものと戯れているかのような大橋さんの歌には、難解なものも多い。この歌はそのような不思議な歌群を読み解く上でのヒントになる気がする。大橋さんの歌における現実の徹底した異化は、日常に「とらわれている」ことから脱出するための糸口であり、その想像の世界を「ひらひら」と自由に飛翔するための翼が、短歌という器なのかもしれない。

 

あ、昔。海だったのねこの町は道理で猫が振り向くはずよ

 

枝分かれしてゆく不安そのすべてに軽い帽子を被せましょうよ

 

湯冷めする。ちょいと鷗になるための一分二分を惜しむ男は

 

井村屋のあんまん様も否定せりいつか短歌が滅びることを

 

冬去らず。みんながみんなヒヨコならいよいよ冬は去ろうとしない

used―大橋弘歌集

used―大橋弘歌集

 

穂村弘『水中翼船炎上中』

 穂村弘さんの四つ目の歌集となる『水中翼船炎上中』を、最近になってやっと読みました。以下、特に気になった歌とその感想です。

 

なんだろうときどきこれがやってくる互いの干支をたずねる時間

 

たとえば「どこの出身?」とか「血液型は?」といった質問であれば、たとえまだ親しくなっていない相手と話す場合でも、会話の話題を広げるきっかけとなるだろう。しかし、干支を尋ねても、そこから次々と会話が広がる可能性は決して高くはない。ちなみに僕は他人に干支を訊くことはまずないのだけれど、他人から干支を尋ねられると、その生真面目さ(とりあえずプロフィールの一つとして干支も確認しておこう)や、不器用さ(干支を話題にしたら会話が続くかもしれない…?)を想像して、何だか好感を持ってしまう。効率性ばかりが求められる社会において、お互いの干支を確認する時間は、豊かな時間であると言えるのかもしれない。

 

もうそろそろ目覚まし時計が鳴りそうな空気のなかで飲んでいる水

 

なぜわれわれは目覚まし時計やアラームがなる直前に目を覚ますことが多いのだろう、といつも思っている。何か本能的な予知能力が働いている感じがしてスリリングである。そのような本能的な何かが働いているかどうかはともかく、目覚まし時計がもうすぐ鳴りそうな瞬間というのは、ものすごい緊迫感がある。一秒一秒の時間がまるで目に見えそうなくらい張り詰めている中で飲む、水。ここは牛乳とかコーヒーではダメで、味のない水にさえ、その緊迫感によって何らかの味の変化が起こり得るのではないかと思った、という主体のリアルな感覚が伝わってくる歌である。

 

おおみそかしぼりにしぼったチューブからでかけた歯磨き粉がひっこんだ

 

一年の中で大晦日と元旦は特別な日であるという感覚はもちろん今もあるけれど、子どもの頃のその感覚はとても強いものだった。作者によるとそれは、「歯磨き粉が出かけたけれど引っ込んだのは、全てが終わり次の一年がまた始まるのを待つための日である大晦日という特別な一日の持っている、得体のしれない大いなる力によるものだ」と思ってしまっても不思議ではないくらい、特別なものだったということである。大晦日には歯磨き粉は全て空になっていなければいけないし、もし仮にチューブから出てくるのだとしたら、また来年になってからにしてね、ということなのだ。

 

ネクターの細いカンカン手に持って海をみている子供の人は 

 

ネクターの細い缶のジュースは、たしかピーチ味とかフルーツミックス味だったような気がする。今では細い缶自体を見なくなってしまったので、これは実際の風景ではなく、回想の中の景だと思う。「子供の人」という表現に作者の子供時代への憧憬が凝縮されている。普通「花火は大人の人と一緒にやりましょう」とか、「大人の人」という言い方はするが、「子供の人」という言い方はしない。かつて子供だった頃には遠く頼れる存在だった「大人の人」に自らがいざなってみると、ネクターの細い缶を手に持って眼前の海に無限の未来を思い描く「子供の人」は、はるか遠くの手が届かない、魅力的な存在に思えるのである。

 

海に投げられた指環を呑み込んだイソギンチャクが愛を覚える

 

海に指環が投げられたということは、一つの愛が破局を迎えたのだろう。本来なら指環は海に捨てられた時点で、その道具としての機能(愛情のあかし)は消滅し、ただの金属でしかなくなる。しかし、それをイソギンチャクが呑み込むという奇跡が起こることで、指環を捨てた人の全く関知しない海の中で、愛が芽生えるのだ。歌集の一番最後に置かれたこの童話的な歌には、機能性や効率性、さまざまな利害関係と不可分の現代社会の中で、こういうささやかな奇跡のような事が、自分の知らないところでたくさん起こっていたらいいな、という作者の願いが込められているのではないだろうか。

 

描きかけのゼブラゾーンに立ち止まり笑顔のような表情をする

「なんかこれ、にんぎょくさい」と渡されたエビアン水や夜の陸橋

三十五歳までならあなたの背は伸びるマイクロフォンが叫ぶ夕映 

胡桃割り人形同士すれちがう胡桃割り尽くされたる世界

海からの風きらめけば逆立ちのケチャップ逆立ちのマスタード

水中翼船炎上中

水中翼船炎上中

 

冨樫由美子『草の栞』

「短歌人」の先輩、冨樫由美子さんの第一歌集『草の栞』を読みました。(探していたのですがなかなか手に入らず、短歌の友人から貸していただきました。)

 

同じかたちの若草色の扉(どあ)ならぶ白い廊下のゆめをまたみる

 

夢の情景の説明が、すでに絵画になっている。主体は何か迷っていることがあるのだろうけれど、若草色という色からほのかな期待や明るさが感じられる。

 

昼下がりの白い茶房で傷口をつつましやかに見せつけあった

 

付き合い始めたばかりの頃に、お互いの過去やコンプレックスの話などをすることで、関係がより密接になるということはよくあると思う。で、僕はそういうのを開けっぴろげに行うのが好きではない(関係を進展させるためのダシに使っているような気がして)のだけれど、「昼下がりの白い茶房」で、「つつましやかに」そう言った話をするこの歌の二人には、とても好感を持った。

 

なつかしいお伽噺のようにきく君が挫折を物語るとき

 

「お伽噺のようにきく」という表現から、小さい子が母親の語る物語にわくわくしながら耳を傾ける様子が思い浮かぶ。主体はいわゆる「自分語り」を決して揶揄するようなことはなく、相手の話を真剣に、そして優しい気持ちで受け止めるのである。それは実は、自分も相手からそうしてもらえたらなあ、という気持ちと表裏一体でもあり、読み手はそこに強く共感する。

 

ちかづいてきて遠ざかるポストマン、音楽的といえる速度で

 

郵便配達の(おそらく)バイクの音が、近づくにつれてクレッシェンドし、遠ざかるにつれてデクレッシェンドする。その間に、ポストに手紙が入れられる時の音が聞こえる。その一連の音が「音楽的」という一語から豊かにイメージされる。「、」の後の「音楽的といえる速度で」は、まるで演奏記号(例えば、アンダンテ=歩くような速さで)のような書き方になっていて、面白い。

 

オアシスとしての自販機つぶ入りのいちごミルクを放課後ごとに

 

歌集後半の教師としての職場詠も印象的。仕事が一段落ついた放課後の自分へのご褒美に、ということだと思う。でもそれだけではなく、お茶や缶コーヒーではなく「つぶ入りのいちごミルク」なので、生徒に買っているところを見られるとからかわれるかもしれないので、こっそりと放課後に…というのもあるかもしれない。リアリティのある一首。

 

空ばかり眺めていちゃあいけませんひとりぼっちになってしまうよ

巣のような匂いの夜具にくるまれてこころは鳥のかたちに眠る

コーヒーの卓を隔てて遙かなるあなたは今も詩の中に棲む

ほろびる、としずかに声にだしてみるボディーソープを泡立てながら

草の葉の栞ありたり古本の青空市にページ繰るとき

 

読んでいて、とても優しい気持ちになれる歌集でした。続いて『バライロノ日々』を読みます…!

草の栞―歌集

草の栞―歌集

 

『MITASASA』第2号、一首評

三田三郎さん、ゲストの大橋凜太郎さんと発行したネットプリント『MITASASA』第2号ですが、配信残り二日の時点で前回の1号の出力数をすでに上回っており、たくさんの方にお読みいただいているようです。本当に有難うございます!さて、今回の連作の中から、お互いに好きな歌を選び、一首評を書いてみました。よろしければこちらもご覧ください!

 

呼びたい、と思えばひかり。でもひかり(あなたが予期せずして持つ身体)/笹川諒

 

我々が何かを認識する際、その対象が何であっても結局は可視光線を捉えているにすぎない。科学で証明されていることがすべて虚構かもしれないという事をこの歌の中で主体は根拠の無いある種、天体的な直感のようなもので感受する。「予期せず」という言葉からは表裏ふたつの意味が読み取れるが私は白い光に足を踏み入れるようにこの歌を読みたい。恐らくこの歌の主体も自身が過去「ひかり」であったことをどこかで感受している。そんな「ひかり」同士であったふたりが「予期せず」身体を持つことで改めて出会ったのだ。さらに言うとすればこの歌の上手さは句読点や()表記を違和感なく使いこなしている点だろう。充分に休符をいれて読むことで万葉集由来の連歌のようにふたりの人物の声が聴こえてくる。<大橋>

 

あなたとは民事・刑事の双方で最高裁まで愛し合いたい/三田三郎

 

事務的な定型の文体かと思いきや、結句で「愛し合いたい」へ反転する。それだけならたまに見かけるタイプのレトリックだが、「民事・刑事の双方で最高裁まで」という表現から想起される時間・労力・問題の複雑さ、「最高」という字面、さらに言うと「民事・刑事」のストーリー喚起力(サスペンスドラマや「天城越え」のような演歌的ドロドロ感をイメージする)、といった小道具が巧みに機能し、主体は果たしてどのように愛し合いたいと思っているのだろうかという疑問を、読み手は際限なく考えてしまう。<笹川>

 

バケツいっぱいのひかりをきみの目の前ですべて零してもいいですか/大橋凜太郎

 

もったいないからやめなさい。と言えるのは私が歌の外部にいる第三者だからだ。こう尋ねられた「きみ」は、その問いかけが帯びている迫力に押され、おずおずと頷いているような気がする。作中主体がやろうとしている行為は、些かサディスティックな様相を呈しながらもその実、刹那的な蕩尽の快楽を二人だけで共有したいという、透明な愛の経験への強い憧れに動機づけられているのだ。<三田>

 

ネプリ『MITASASA』第2号

短歌ネットプリント『MITASASA』の第2号が出来ました!

今回は新聞歌壇等で活躍中の、大橋凜太郎さんをゲストにお迎えしています。

 

・笹川諒「青いコップ」

・三田三郎「今日はもう終わり」

・大橋凜太郎「いっさいの虚構」

 

の各10首です。お読みいただけますと幸いです。

 

【出力方法】

セブンイレブン →予約番号09521400

ローソン他コンビニ →ユーザー番号45QEQLPQQ7

A4、白黒、両面(短辺とじ)、40円です。よろしくお願いします!

配信は1月17日木曜日までになります。

 

 

知恵の輪を解いているその指先に生まれては消えてゆく即興詩

(「青いコップ」『MITASASA』第2号より)