Ryo Sasagawa's Blog

笹川諒/「短歌人」所属/短歌のことを書いていこうと思ってます。

【寄稿】『仙藥』vol.4(「てとりす」7首)

大橋弘さんが編集人の『仙藥』vol.4に、ゲストとして「てとりす」7首が掲載されています。お読みいただけますと幸いです。

 

・『仙藥』とは…?

小島浩二(詩)、綾部宏子(俳句)、大橋弘(短歌)の3者による同人誌(『仙藥』のtwitterアカウントより)。

 

・どこで手に入るの…?

東京→古書ソオダ水、七月堂

大阪→葉ね文庫(近日入荷予定)

で購入可能です。

 

それでは気になる『仙藥』vol.4の中身を少しだけ紹介したいと思います!

 

永き日や祖父の遺影にほくろあり/綾部宏子「永き日」(俳句)

 

「永き日」は春の季語。春になって日が長くなることで、心にどこか余裕が生まれたからなのか、今まで意識していなかった祖父の遺影のほくろに目が留まる。遺影は春のやわらかな日差しに照らされている。掲出句を含め、春を迎えた喜びが優しくただよう一連。

 

小島浩二「日々のかけら」(詩)

 

作品からの抜粋は難しいので残念ながら割愛。日々降り積もっていく記憶が、道端に落ちているささやかなもの(小石、ゴム玉、おはじき…)として可視化されているような印象。読むと温かい気持ちになれる一篇。

 

眠いけれどバナナ室から出てきたと思えば今日もだまし討ちです

大橋弘「おにぎりの具に詰めるとしたら今昔物語」(短歌)

 

何という連作タイトル(!)。「バナナ室から出てきた」に面食らってしまうが、よく読むとたしかに、「バナナ室」(バナナの生育に適した温度・湿度等を保った、ビニール温室だろう)のバナナたちは騙されていると言えるではないか。大橋さんの愉快な短歌、新作17首が収録されています。

 

また、作品に加えて、同人の方々の読み応えのあるエッセイもあります!

かわいい猫のイラストの表紙が目印の『仙藥』vol.4、ぜひお読みください~。

『MITASASA』第5号、相互評

三田三郎さん、ゲストの水沼朔太郎さんと発行したネットプリント『MITASASA』第5号の相互評を公開します。ネプリの配信は4月12日金曜日までとなっておりますので、まだの方はぜひお読みいただけますと幸いです!

 

駅前に成長痛を響かせて養生された塔がまた伸びる/三田三郎

 

「いざ出勤」七首中の一首。他の歌には一社会人の出勤が読み取れる単語が散りばめられているが、この歌にはそういった単語がない。強いて読めば〈成長痛〉が反社会人的な意味合いを持つが、その反社会人的な言葉が〈塔〉を成長させるという。東京タワーや通天閣を見ればわかるように〈塔〉は成長を加速させるものだ。しかしながら、この歌では〈成長痛〉が〈塔〉の栄養分となる。〈塔〉が社会ではなくわたしを反映している。そこにこの歌のおもしろさがある。<水沼>

 

この星の何割ほどを、いや、きっと一割も知らずに蜜柑剥く/笹川諒

 

「この星の何割ほどを」と言ったところで、作中主体はその問い方自体の不遜さに気付く。そしてその後、「きっと一割も知らずに蜜柑剥く」。これは反省か開き直りか、いずれにしても実にキュートな態度である。最後に行為を置くことで作中主体を俯瞰するアングルに切り替わる展開も良い。ただ、この歌の魅力というか凄みはもっと先にある。どうも作中主体は、「蜜柑」を「剥く」ことによって、つい先程まで自らも前提していたのとは別の方法で、「この星」を知ることに挑もうとしているように思えてならないのだ。それは不遜でも反省でも開き直りでもなく、全く以て真摯でマジな態度とアプローチで「この星」を知ろうとする挑戦である。<三田>

 

安田大サーカスみたいに大人気 永井祐たのしく暮らしてる?/水沼朔太郎

 

一首評ではなく連作評になることをご了承いただきたい。というのも今回の水沼の連作は、もちろん一首単位で見ても普通に秀歌はあって(個人的には特に五、七、十一首目等)、それに絞って述べても良いのだが、そのような言及の仕方は、どうも作者がこの連作に込めた意図に反するような気がするのだ。

 

夢の中でもぼくは眠ろうこれが噂の(これが噂の)ねむりの二重螺旋構造/水沼朔太郎

どう たのしい OLは 伊藤園の自販機にスパイラル状の夜/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(以下、永井の歌は全てこの歌集から引用)

 

上の今回の連作一首目の歌と、下の永井の歌の関連性はツイッターでQ短歌会の森さんが指摘されていて、なるほどと思った。「これが噂の」が、永井の歌に書かれている例のやつ、ということを含意しているのだろうか。連作はこの一首から始まり、永井祐的な要素を含んだ歌が続いてゆく。

 

10分前に仕事着になる出発の時間になるまでじっとしている/水沼朔太郎

30分待つハメになる 着メロはバスの発車の音にまぎれた/永井祐

 

連作二首目。具体的な数字への妙なこだわり、また数字を全て全角で表記するなど、永井の歌の特徴が見られる。まだ今回のネプリを出力していない読者の方もいると思うので、歌自体を引くのは避けるが、四、六、七、八首目も時間の話題が出てくる(連作のタイトルが「10日と2時間」なので、当然と言えば当然だが)。

 

ぼんやりとしていて5分むだにした 右左から光が入る/永井祐

 

永井はとにかく時間に細かく、その作品世界においても大きな主題となっている。その「時間」を、今回水沼は連作の主題として選択しているのだ。

 

終着駅まで降りないことを良いことに一駅ごとに見る混み具合/水沼朔太郎

帰りの電車二駅分をおしゃべりし次の日ふたりとも風邪を引く/永井祐

 

連作十一首目。一駅一駅を意識するミクロな視点、そしてその観察から導かれるきわめてドライな抒情、という点ではこの二首は共通していると言える(全体の歌意は全然違うけれど)。そしてそれが言うなれば、永井の歌の大きな特徴でもある。

 

俺だって駅のホームでにやにやと触られたことありますよ 0円/水沼朔太郎『ベランダでオセロ』

パーマでもかけないとやってらんないよみたいのもありますよ 1円/永井祐

 

さて、ここまで水沼の今回の連作にいかに永井祐的な特徴が見られるかを述べてきたが、それは決して無自覚的なものではないということが、上に挙げた合同歌集『ベランダでオセロ』の中の「おでこの面積」所収の歌を見ればすぐに分かるだろう。平岡直子が「日々のクオリア」(2018年12月7日掲載分、https://sunagoya.com/tanka/?p=19593)で、「若手歌人の歌を追っていて、いいな、おもしろいな、と思っていた歌人が気づいたら永井祐っぽくなりすぎてる現象がときどきある。別バージョンでは大森静佳っぽくなりすぎてる現象もときどきある。このふたりの似られかたはすごいと思う」と述べているように、現在、永井祐の作風は数多くの若手歌人によって(多くは無意識のうちに)模倣されている。連作最後にあたる十二首目<安田大サーカスみたいに大人気 永井祐たのしく暮らしてる?>の「大人気」はそのような状況をある意味で揶揄しているのだろう。「たのしく暮らしてる?」はもちろん、永井の第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』に由来するわけだが、「そのような前述の状況を、永井さんどう思いますか?」という水沼から永井への、さらには(主に若手の)歌人全体への問いかけなのである。

 

そのような異議申し立てを、テーマ設定を含めて、きわめて意識的に永井祐の手法を盛り込みながら今回の連作を水沼が編んだ、という視点から今回の「10日と2時間」を読むと、より面白く読めるのではないだろうか。最後に、十二首目の「安田大サーカスみたいに」だが、これは「一発屋」という含みがあるのかもしれない。もちろん、安田大サーカス一発屋芸人であるかどうかという問題、また、永井祐はこれだけ影響力を持っているのに一発屋とはとても言えないのではという問題もあるので、そこまで強い意味ではなく、第一歌集が刊行されて評判になってから相当期間経っているけれど、第二歌集はまだ出ないの?というようなニュアンスなのだろう。

 

永井祐の第二歌集のタイトルは『57577』だと思う/水沼朔太郎『ベランダでオセロ』

<笹川>

ネプリ『MITASASA』第5号

ネットプリント『MITASASA』の第5号が出来ました。

短歌:三田三郎、笹川諒(各7首)、水沼朔太郎(12首)です。

今回は水沼朔太郎さんがゲストです!

 

【出力方法】

セブンイレブン →66052608

ローソン他コンビニ →45QEQLPQQ7

 

A4、白黒、両面(短辺とじ)、40円です。よろしくお願いします!

配信は4月12日金曜日までです。

 

【連作のタイトル】

三田三郎「いざ出勤」

笹川諒「曼荼羅の詩」

水沼朔太郎「10日と2時間」

『短歌人』2019年4月号の、好きな歌10首(会員欄)

子と夫に呼ばれ続ける一生の吹雪の窓に咲く君子蘭(小原祥子)

 

あを以外アリスのドレスを何色に塗るか悩みて過ごすひねもす(岡本はな)

 

食塩水ばかり作らせる教科書の文章題をココアに代える(柳橋真紀子)

 

ことば言葉ことばの合間に山茶花がちらほら咲いている真夜中の(千葉みずほ)

 

うちテレビないんですよと言うときの感じを今は思い出せない(山川創)

 

旅をしようよものすごくにらむ猫の耳に西日が当たっている(国東杏蜜)

 

過ぎ去ったバス停横のベンチには死の入り口が腰掛けていた(鈴木秋馬)

 

総務部ができて半年 総の字を好きだと思う 代印を押す(山本まとも)

 

大きめの旅行鞄に文庫本一冊入れて列車でゆこう(田上暁子)

 

日常で作られているわたくしの体はどんな味であろうか(笹渕静香)

 

※掲載ページ順です。万一誤字・脱字等ありましたら、すみません。

『MITASASA』第4号、相互評

三田三郎さん、ゲストの大橋弘さんと発行したネットプリント『MITASASA』第4号の相互評を公開します。ネプリの配信は3月21日木曜日までとなっておりますので、まだの方はぜひお読みいただけますと幸いです!

  

みずぎわ、とあなたの声で川が呼ぶ/笹川諒

ゆっくりと燃えないパフェを食べている/同

風鈴を非営利で鳴らしています/同

 

笹川さんの川柳は、例えばこの三句のように用言で終わると、詩だと感じる。言葉の先、つまり用言の先がまだあるようだ。一句目、川に呼ばれた後、どうするのか、読み手がそこに何かを加える余地がある。パフェを食べた後も、風鈴を鳴らした後も一緒。それぞれ「燃えない」とか「非営利」なんて屈折があるので、それも含んで次のアクションを想像する。

 

勇敢なほうの水から作るお茶/笹川諒

搾りきることのできない月でした/同

 

一方、体言で終わる句は、川柳とも、詩とも言い切れない。だぶん「挑発」だ。詩的な挑発。委ねられているというような生やさしいものではない。挑発には、何かを付け加える余地がない。しかし読み手は、ありえない(かもしれない)お茶や月を受け止めることができる。そう、受け止めることはできるのだ。読み手というものは幸運だ。<大橋>

 

心にも管理人のおじさんがいて水を撒いたり撒かなかったり/三田三郎

 

『自律神経没後八年』という沈鬱なタイトルの連作の中で、比較的穏便な作品。でも、屈託はある。心のことだけに、「管理人のおじさん」は自分そのものかもしれない。潤いを与える撒水。が、おじさんは水を撒いたり撒かなかったりだ。あてにならない「おじさん≒自分」にそこはかとなく諦めも漂う、ミニマムなファンタジー

 

奪うんじゃなくて奪われたものをただ取り返すだけそれだけで夕暮れ/三田三郎

 

破調。だが、生き急ぐような切羽詰まった読みぶりに、一読目は定型だと思った。結句に飾りっ気のないただの「夕暮れ」が置かれて、マイナスをゼロにするだけの徒労感が呼び覚まされる。でも、「ただの夕暮れ」というのがまたしぶといもので、言葉そのものの徳を活かして、前半の狂騒を受け止めて揺るがない。しかも、「それだけで」の「で」が痛々しい。この一文字には、徒労に近い「取り返す」ための時間の経過が沈んでいるからだ。<大橋>

 

心臓と同じ高さに夕焼けを置き、それからがみなしごだった/大橋弘

 

魅力的な歌。一読してすぐ意味が取れるような歌ではないので、あくまで読みの一例ということで。「夕焼け」は簡単に情感を生むことができる語(だからこそ常套語でもあり、詩の文脈においては慎重に用いる必要がある)だが、ここではそれを逆手にとって、実景としての夕焼けに加えて、「詩」的なものの総称のような意味役割を担っているように思う。そう考えると、心臓(生命維持に関わる最も大事な体の部位)と同じ高さ=同じ価値に夕焼け(総体としての詩)を置く、という読み方ができる。しかし、それだけ主体が詩に心身を捧げた結果は、「みなしご」なのだ。どれだけ一意専心に詩と向き合ったからといって、すぐにスラスラと詩が書けるとは限らない。誰も助けてくれない孤独の中で必死に詩を模索していくしかないのだ。この歌からは作者の創作に対する姿勢を垣間見ることができる。補足すると、「みなしご」は夕焼けから連想される童謡「七つの子」(歌に出てくるカラスは、山の自分の巣に子どもが七羽いる)を踏まえた、縁語的な語選択なのではないかと思った。<笹川>

 

明け方のサーカス小屋の静けさがあるだろ俺の名刺の書体/大橋弘

 

これは自慢したくなるのも無理はない。一般的には味気ないものが多い名刺の書体が、静謐な詩情を湛えているのだから。きっと名刺を出すのが楽しみで仕方ないことだろう。なんという書体なのかこっそり教えてほしいくらいだが、なんとなく教えてくれない気がする。名刺の上にひっそりと現れたポエジーを自慢する作中主体の、誇らしげで、ちょっぴり意地悪で、それでいてどこか憎めない幸福そうな顔が、ありありと目に浮かぶようだ。<三田>

ネプリ『MITASASA』第4号

ネットプリント『MITASASA』の第4号が出来ました。

 

短歌:三田三郎、大橋弘(各10首)

川柳:笹川諒(22句)です。

今回は大橋弘さんがゲストです!

 

【出力方法】

セブンイレブン →28786154

ローソン他コンビニ →45QEQLPQQ7

 

A4、白黒、両面(短辺とじ)、40円です。よろしくお願いします!

 

配信は3月21日木曜日までです。

 

【連作のタイトル】 《短歌》 三田三郎「自律神経没後八年」 大橋弘「ことばのざらつき、もしくはreminiscence」 《川柳》 笹川諒「みずぎわ」「マイム・マイム」

『短歌人』2019年3月号の、好きな歌10首(会員欄)

ひとしきり記憶は荒み湯の中の手は翌日の雨の音する(高良俊礼)

 

去年今年朝にはパンとミルクティーこころのうちの短き祈り(冨樫由美子)

 

願わくは現役のまま死にたいと明るく語る暮れの中華屋(いばひでき)

 

見たことのないやや低い標識を見終える前にバスは進んだ(浪江まき子)

 

眠いとき耳朶に触れくる子の癖を書きおくりたり入院のまへ(桃生苑子

 

顔も覚えてない人が私に怒っているらしくなにかが満たされていく(山川創)

 

町並みを飲み込んでゆく夕やみにわたしの顔が振り向いている(鈴木秋馬)

 

食い逃げは多分しないまま死ねるかな してみたい気も少しするけど(髙橋小径)

 

焼きそばパンなのにベーコン入ってるパンそんなパン持たせてくれた(山本まとも)

 

履歴書の行の隙間に埋もれたる闇を掬いてささやかに抱く(真中北辰)

 

※掲載ページ順です。万一誤字・脱字等ありましたら、すみません。